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あなたも自宅で新物質をデザイン!“IBM Molecule Generation Experience”が起こす革新とは

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IBMは今後5年以内に社会を変革する画期的で科学的な5つのイノベーションを“5 in 5”として毎年紹介しています。2020年は、より持続可能な未来を実現するため、新たな物質を発見・デザインするテクノロジーの可能性に焦点が当てられました。地球環境問題や新型コロナウイルスの感染拡大など複雑な社会課題に直面し、今まで以上に新物質の開発に期待が高まる2021年。そんな中、3月4日に、AIを使い、誰もが新しい分子構造のデザインを体験できるMaterial Design(マテリアル・デザイン) のWebアプリケーションがリリースされました。IBMの持つ最新技術の一部を社会に向けて開放する、稀有な取り組みです。

新物質の発見は世の中を劇変させる

近年、世界中で新物質の発見や開発が注目されています。
「産業や科学技術の歴史を振り返ったとき、新しい性質を持った物質の登場が発展のドライビングフォース(駆動力)になっていることがあります」と語るのは、マテリアル・ディスカバリーの研究プロジェクトをリードする、IBM東京基礎研究所の武田征士。


武田征士(IBM東京基礎研究所)

今回Webアプリのリリースに際し、武田氏は次のように語ります。
「新型コロナウイルスの感染拡大や地球環境問題のような複雑な問題に対し、AIによって膨大なデータを学習し、人が思いもつかない分子構造を速やかにデザインできるマテリアル・デザイン技術が貢献できる可能性があると信じています」

日本では2020年にレジ袋有料化が実施されました。これは、二酸化炭素排出量の削減により地球温暖化問題に歯止めをかけることや海洋プラスチック問題への対処を目指す取り組みですが、日常生活の範囲での改善となり、根本の問題が今すぐに解決されるわけではありません。

一方で、今までなかった性質の物質が見つけだされることによって、日常生活そのものがひっくりかえってしまうほどの変化が起こります。例えば半導体材料の発明によりトランジスタがうまれ、それがCPUに実装され世界中でコンピューターが使われるようになり、社会生活が大きく変わりました。またジュラルミンやカーボンファイバーの登場により巨大で軽量な航空機が量産され、私たちの移動範囲は当時では考えらないほどに拡大しました。

もし、二酸化炭素を速やかに吸収する物質や太陽光を効率よく電気に変える物質、未知のウイルスを殺傷する物質など、これからの社会を牽引する産業に使える物質を自在にデザインできたら、地球環境問題や様々な社会課題の根本的な解決策につながる可能性があります。

このように、新物質が飛躍的に技術や産業を発展させた経験から、夢の性質を備えた物質の誕生を期待する声が高まっています。

トライ&エラーの新物質開発をAIが加速させる

とはいえ、新物質の開発には10〜20年かかると言われており、一朝一夕にできることではありません。

「プラスチックや水、アルコールなど、私たちの身の回りの物質は分子が集まって構成されています。つまり新しい物質を発見するということは、基になっている分子構造をデザインすることです。地球上には既知の物質が『10の9乗』種類あり、未知の物質は少なくとも『10の62乗』種類は存在すると言われています。サハラ砂漠の砂は『10の20乗』個ありますから、その中からダイヤモンドを1粒発見するよりはるかに難しいと言われたら、どれだけ困難かがご想像いただけるでしょうか。そのような膨大な組合せの中から欲しい性質を持つ物質をデザインする作業を、研究者個人が持っている知識や経験、直感を頼りに、少しずつ今の物質に対して改善・改良するのが一般的な開発方法のため、長期間に及んでしまうのが実情です」(武田氏)

しかし、近年のAI技術や統計解析の発展により、開発スピードを加速し、物質デザインの発想の自由度を拡大することが可能となってきました。IBM Researchは“Accelerated Material Discovery” というグローバルプロジェクトを掲げ、AIやデータ、クラウドなどさまざまなコンピューティング技術を駆使して材料開発の速度を10倍以上加速することを目標に技術やソリューションを展開しています。

「単にスピードを改善するだけではなく、AIを導入することで“out of the box”という表現で語られる、常識から外れたところに発想をジャンプさせ、人知を超えた発見に導いてくれることにも期待を寄せています」(武田氏)

AIを含む情報処理技術をフルに活用して材料開発を進めるマテリアルズ・インフォマティクス( MI:Materials Informatics)という分野は世界中で急速に行われるようになってきています。IBM Researchの特徴は、以下にあげる4つの技術領域にグローバル全体で戦略的に注力することで、一気通貫してマテリアルズ・インフォマティクスを実施し、得られた結果やデータをフィードバックするサイクルを回し、システム全体を徐々に強化してゆく組織体制を持つことです。

  1. ディープサーチ:文献から大量のデータを読み込み、単語や文章の相関から知のネットワークを広げ、情報を自動的に抽出・整理する
  2. 物理シミュレーション:第一原理計算などシミュレーションにより、物質がもつ性質を厳密に計算し、抽出されたデータの欠損値を埋めたり、新しい分子構造の性質を確認したりする
  3. 生成モデル:抽出されたデータをAIに学習させて、欲しい性質を持つ物質の分子構造を自動的にデザインする。東京のチームがリードする領域
  4. 自動ラボ:生成モデルが提案した新しい分子構造の合成方法をAIにより予測し、ロボットラボで実際に合成する

3ステップで誰もが新物質をデザインできる

このように待ち望まれる新物質の開発に対し、今回、誰でもマテリアル・ディスカバリーを体験できるWebアプリをリリースしたのはなぜなのでしょうか。

「科学技術に限らず、アートや建築、食などあらゆる文明や文化が常にそうであるように、技術は作り手や使い手の自由でのびのびとした知の交流があってこそ、大きく豊かに発展するという歴史があるからです。最新の技術を社会に開放して、いろいろなスキルや価値観の方に使い込まれ機能がアップデートされることで技術は磨き込まれ、利用する側のリテラシーも向上するのです」(武田氏)

今回のWebアプリを利用すれば、AIを開発する技術や物質に関する知見を持っていなくても、AIや化学に興味がある人が自宅のPCから気軽に新物質づくりに参加できます。このようなプラットフォームを公開することで、AIなど科学技術への敷居を大きく下げ、技術や社会の発展に誰もが自由に貢献できるようにしたいという思いがあるのです。

「誰でも利用できる、万人に開かれたWebアプリにするためには技術的な面だけでなく、UI/UXでも乗り越えるべきことが多かった」と語るのは、今回Webアプリの開発を担当した、IBM Garageの古郷誠です。


古郷誠(IBM Garage)

「武田から『簡単に使えて、マテリアル・ディスカバリーという領域に興味を持ってもらえる方を増やしたい』という思いを聞いていたので、入り口は誰もが入りやすい設計とし、少し勉強すれば難しい機能も使える、というところを着地点にしました。試行錯誤の結果、基になっているマテリアル・デザイン技術が備える機能の中から、Webアプリ用の機能を選択整理し、3ステップにしました」(古郷氏)


Webアプリで分子をデザインする3つのステップ

それぞれのステップで以下のような操作をすることで、データの編集、AIモデルの学習、分子デザインという、基本的なワークフローを体験することができます。

1. データの観察と編集
備え付けのデータセットから、薬分野など、マテリアルデザインを実施したい材料分野を選択する。データセットに含まれる物質の性質(例えば「温まりやすさ」など)がどのような分布をもつか観察して、間違ったデータや使いたくない物質を学習対象から外し、どのデータを学習に使うか整理する。

1.データ選択
1.データ選択

2. 選択したデータをもとに物質の分子構造と性質の関係をAIに学習させる
物性値を予測するモデルをAI学習により作成。学習するためのパラメータを調整することができる。まずは原子数やベンゼン環の数といった、分子構造を表現する特徴を選択する。予測したい「ターゲット物性値」を決めると、今度はモデルの調整。「素早く学習する」「時間がかかるが精度が高い」など4パターンのAIモデルから、使用したいものを選択することができる。さらに、どれだけ一般性を持たせて柔軟に学習するかを設定できる。ボタンを押すと、学習がスタート。学習終了後、作成されたモデルで物性値を予測する結果が示される。

2.AIの学習
2.AIの学習

 

3. 欲しい性質を持つ分子構造をデザインする
分子構造がもつ物性値を予測するモデルは作成できたので、今度はAIがこれを逆方向に解析して、欲しい性質を満たす分子構造をデザインする。例えば「満たすべき物性値」として熱容量を30、「生成する分子の数」を20と設定すると、AIが解析して熱容量が30の新しい分子構造20個がデザインされる。「構造生成ルール」で、「分子構造の中にこういった形を何個まで含む」という制約も指示できるので、創薬や半導体材料といった、その分野に特有の形を含んだデザインも可能。

3.分子デザイン
3.分子デザイン

自分がデザインした物質は「プロジェクトレポート」ページで確認でき、分子構造は3DCGで回転させるなど「触って」観察することができます。このように3ステップのシンプルなシステムになっているため、コツをつかめばクリックだけで簡単にマテリアル・デザインを楽しむことができるのです。

分子構造は3次元のバーチャル空間で触ることができる
分子構造は3次元のバーチャル空間で触ることができる

実際、IBM社内で開催したオンラインイベント「IBM Family Day 2020」でこのWebアプリを公開したところ、社員の家族である2、3歳の子どもがわからないながらも楽しそうに操作していたとのこと。また、Webアプリの利用にはいくつかのSNSのアカウントが使用でき、特別な資格は必要ありません。シンプルな操作性とオープンなあり方――まさに老若男女が使える開かれたアプリケーションと言えるでしょう。

近未来の生活の一端を担う第一歩

「オープンイノベーションの動きはソフトウェアが最も活発で、それから徐々にハードウェアへと流れてきます。その意味でマテリアルはまだ「オープン」からは最も遠い領域ですが、徐々に変わってゆくかもしれません。個人的な考えですが、アメリカや日本、インドなどの学生がデザインした物質に、世界中のユーザーが手を加えてどんどんクリエイトできるマテリアル版のGitHub(ソフトウェア開発のプラットフォーム)のような世界がやがて訪れると思います。例えば自動車用にもう少し耐久性があるタイヤを作りたいと考えたとき、限られた専門家だけではなく、プラットフォーム上で世界中の人々が物質デザインに参加することで、信じられないような耐久性や強度もつ物質構造が提案されるーーそんな知の融合がマテリアルに限らずあらゆる分野で起きるような、今までにない創造的な世界を夢見ています。

このWebアプリは、AIや物質科学に興味があるけれども今から専門書を買って勉強するのは大変だと思っている方でも、基本的な考え方を遊びながら身につけることができます。小学生で、まだ細かい部分の意味がわからなくても、AIが描くグラフの動作を楽しんだり、3DCGの美しい分子構造に触れることで、科学への興味が芽生えるかもしれません。
このWebアプリによってマテリアル・デザイン技術をすべての人に開放することで、より豊かな世界をともに創り上げてゆくことができればと思います」(武田氏)

世界を救う可能性を秘めた新物質。今回Webアプリがリリースされたことが、近未来の生活の一端を担う大きな一歩となることを願っています。

photo:Getty Images

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