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今を生きる。 ――「ジャパネットたかた」創業者・髙田明氏、70歳の挑戦

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通信販売の大手、ジャパネットたかた。その名を聞けば、すぐに創業者である髙田明社長の顔、独特のあの高い声と語り口を思い浮かべる人は多いだろう。長崎県佐世保市のカメラ店主がわずか10年あまりでテレビ通販王に。その後も本社を佐世保市に置き続ける郷土愛と、サクセスストーリーには感服するばかりだが、さらに2015年、ジャパネット社長の座をあっさりと退くという引き際の見事さにも驚かされた。
2017年には長崎県をホームとするサッカーJリーグのクラブ、V・ファーレン長崎の社長に就任し、傾いていたクラブの立て直しに尽力、最初のシーズンで悲願のJ1昇格を果たした。70歳を目前とした今も、夢を持ち続けられる秘訣とは何なのか。髙田社長の「今を生きる」に迫る。

髙田 明
髙田 明
(たかた あきら)

ジャパネットたかた創業者。株式会社A and Live代表取締役
株式会社V.ファーレン長崎 代表取締役社長。
1948年長崎県生まれ。1971年 大阪経済大学卒業。阪村機械製作所にて海外駐在を経験。1974年実家が経営するカメラ店(現・ジャパネットたかた)に入社。1990年から地元放送局で始めたラジオショッピングが評判になり、1994年にはテレビショッピングにも参入する。自らMCとして説明役になり、独特の語り口で全国的に人気を博し、飛躍的に業績を伸ばす。2015年社長を退任。2016年にはMCとしての番組出演を「卒業」。2017年にはV・ファーレン長崎の経営再建を引き受け、社長就任1年目でJ1昇格。著書に『伝えることから始めよう』(東洋経済新報社)、『90秒にかけた男』(日本経済新聞出版社)、『髙田明と読む世阿弥』(日経BP社)がある。

つい半年前まで倒産の危機に瀕していたJ2チームが、J1に昇格。“長崎の奇跡”を起こした

あのジャパネットの髙田社長がJリーグ、V・ファーレン長崎の社長に就任する──。サッカーファンならずとも興味を引かれるニュースが全国を駆け巡ったのは2017年4月のことだった。当時、V・ファーレンはJ2に所属し、2017年シーズンの開幕前に債務超過、選手への給与未払いの危機に直面、入場者数水増しなどの問題が発覚、クラブは倒産の危機に瀕していた。

この窮地にV・ファーレンの筆頭株主であるジャパネットたかたの持株会社、ジャパネットホールディングスが立ち上がる。クラブの運営会社の完全子会社化に踏み切り、ジャパネットを2015年に「卒業」していた髙田社長にクラブの再建を託したのだ。

髙田 「息子(髙田旭人氏)がホールディングスの社長をしていて、ずっとスポンサーをしていましたので、何とかチームを存続させたいと考えました。そこで彼は運営会社を100%子会社化し、スピード感と責任感を持って組織の再建をしていこうという方針を立てました。では運営会社の社長は誰がやるのか。たまたま横にいた私にお鉢が回ってきたということです」

髙田社長

社長就任後の髙田氏の行動は素早かった。まずは組織の人心一新に着手した。ジャパネットから多数の社員が送り込まれ、新たな人材も雇い入れた。その1人に、髙田社長のゴルフ奮戦記を取材、連載したゴルフ雑誌の副編集長という人物がいる。東京から縁もゆかりもない長崎へ、敏腕編集者から畑違いのサッカークラブ広報へ。彼のダイナミックな転職の決意は、髙田明という人物の魅力を雄弁に物語るエピソードではないだろうか。

こうして新スタッフをそろえ、初年度には当初の予定を大幅に上回る10億円近くを投資。クラブの経営や、選手を取り巻く環境の改善に着手した。ジャパネットという体力のある地元優良企業のバックアップが確約され、選手やスタッフは「何かが変わる」と感じたことだろう。ちなみに選手や監督は、ほとんど元通りの顔ぶれを保ったままにした。
試合前、ピッチに入場する選手たちと髙田社長が毎回ハイタッチを交わすことも、小さなことのようでいて、選手のモチベーションを高めたに違いない。あの人懐っこい笑顔で「さあ、がんばろう!」と声をかけられれば、誰だってがぜんパワーアップしそうだ。

結果、チームはあれよあれよと連勝を重ね、11月11日のホーム最終戦に勝利して2位を確定。「何とかプレーオフに」という期待を上回り、自動昇格という形でJ1昇格を決めた。終わってみれば後半戦の13試合は負けなしの10勝3分。つい半年前まで倒産の危機に瀕していたチームが“長崎の奇跡”を起こしたのである。

髙田 「チームはJ2に5年間いて、プレーオフに2回進んでいました。ですから潜在的に力はあったと思います。ではその力を引き出すには何が必要か。選手が本当にやろう、やらなくちゃいけないという気持ちになることです。
給料は出るんだろうか、自分はこのチームに残ってやっていけるのだろうか、という不安を抱えていたのでは力は出ません。ジャパネットが入ってチームが安定し、そうした不安を少し払拭できたのではないかと思います。本当に気持ちの持ちようです。前向きに考えていけば、人間、夢は実現できるんだと」

髙田社長

「愛と平和と一生懸命」を提供できるのがサッカー

まったくの畑違いだったサッカーという未知の世界に飛び込み、すぐさま結果を出してしまうのだから恐れ入る。それにしても通販のカリスマがサッカークラブの社長を引き受けることに、躊躇はなかったのだろうか。

髙田 「例えば、私は医者にはなれないけれど、医療とは何か、どうあるべきかというミッションは語れると思うんです。サッカーも同じで、選手にもコーチにもなれないけど、ミッションを語ることはできます。ジャパネットを辞めてから講演の依頼をいただいて、何百という場でお話しさせていただく機会を頂戴しました。テーマは福祉だったり、政治だったり、地方創生だったり。私の専門分野ではありませんが、それを語ることができるというのは、ミッションの話をするからなんですね。人間の活動というのはすべてそこに行き着きます」

人には使命がある。組織においても、個人においても、果たすべき役割がある。それを理解し、共有することができれば、おのずと成長は促される。髙田社長はV・ファーレンにそのミッションを浸透させた。

髙田 「勝った負けたは、プロである限りもちろん大事です。一生懸命プレーし、徹底して戦わなければ、見ている方々に伝わるものはないでしょう。ただ、勝ち負けをもっと超えたところにサッカーの役割はあるんです。私はツイッターでよく発信します。サッカーには夢がある、と。敵味方を超えた交流、相手を敬う心。愛と平和と一生懸命です。これを提供できるのがサッカーだと思っているんですよ」

髙田社長

世阿弥の3つの視点。「我見」、「離見」、「離見の見」

髙田社長は「伝える人」だ。ラジオを通して、テレビを通して、自らが自信を持って選りすぐった商品を消費者に紹介し、販売してきた。ただ安いとか、いい商品だとか、通り一遍のセリフを連呼しただけでは、消費者の心には届かない。
徹底して消費者の視点に立ち、その商品を買うことによってどんなメリットがあり、物語が生まれるのか、熱意を持って語りかけた。独特のハイトーンボイスと、長崎なまりの混じった語り口は、その熱意と人柄の良さをにじませ、結果的に伝えることの手助けになった。

髙田社長は伝えることを語る時、世阿弥の言葉をよく思い出すという。室町時代初期に能を大成させた世阿弥は、その著書『花鏡』で「3つの視点」について語っている。舞台にいる演者(自分)はどう観客に伝えるかという視点が「我見」、観客が演者の自分をどう見ているかを意識する視点が「離見」、それらを客観的に俯瞰して全体を見るのが「離見の見」である。

髙田 「能が将軍に認められ、広く愛されるようになった時、世阿弥は感じるところがあったのでしょう。今のまま浮かれていたら能は衰退してしまう。能の舞い手としてどうやったら人に伝え続けていけるのか。そこで3つの視点があると説いた。私も長くテレビショッピングで販売をやっていましたから、まったく同じじゃないかと共感を覚え、世阿弥の言葉に強く引かれました。

人に何かを伝えようとする時、自分の言い分だけにとらわれ、相手の気持ちや欲していることなど客観的な視点に思いが至らず、押し付けるようになってしまうことがあります。
これは能の演者やテレビショッピングに限った話ではありません。ビジネスでは顧客や組織の人たちに、教師は生徒に、医者は患者に、政治家は有権者に、それぞれが3つの視点を持ち、冷静に全体像を見つめながらコミュニケーションをしなければ、伝わるものも伝わらなくなってしまうと思うのです」

髙田社長

ほとんどの試合に足を運び、200人、300人のサポーターたちと言葉を交わす

サッカーの魅力や、V・ファーレンの魅力をできるだけ多くの人たちに伝えたい。そう考えた末に行きついた1つの答えが、サポーターとの交流だった。自分が先頭に立ち、現場に立ち続ける。ジャパネット時代からのポリシーである。
できるだけ多くの観客にスタジアムに来てもらうため、自らCMに出て年間チケットの販売をしたり、駐車場を増やしたり、JRに掛け合って列車の本数を増やしてもらったり、時には髙田社長が先頭に立って観客をスタジアムまで誘導したりする。

髙田社長は日本各地で開催されるほとんどの試合に足を運び、試合前1時間かけてスタジアムに来てくれた多くのサポーターたちと言葉を交わす。マスコットのヴィヴィくんとスタジアムを歩けば、200人、300人と会話をすることになる。相手チームの多くのサポーターとも毎回積極的に言葉を交わすことで、参考になることがとても多いという。
プレーについては監督を始め現場に全面的に任せ、自分は口出ししないが、まずは経営トップのやる気を見せることが、組織活性化の第一歩だ。するとトップのやる気は周りにも伝播していく。

相手チームとの交流は、髙田社長とは直接関係のないところでも徐々に広がっている。例えば、JRの駅や空港では、駅や空港の職員たちがウェルカムボードを掲げてアウェイのサポーターを迎え入れるようになった。
JRの駅からスタジアムまでの長い道のりでは、スタジアムに向かうサポーターのために、商店街の人たちがあちこちでお茶や地酒をふるまう姿が見られるようになった。交流が生まれ、訪れる人たちから「長崎は優しい街だ」という感想も聞かれるようになった。
こうした努力が実り、遠方から長崎まで試合の観戦に訪れるサポーターが増えていった。集客力でいうと、まだJ1のチームの中では下位に甘んじているものの、髙田社長、そしてV・ファーレン長崎の思いは徐々に、そして確実に広がっている。

ユニフォームにユニセフのマークを背負って戦う

原爆を経験した県・長崎のチームとして平和を訴えるというミッションも紹介しておきたい。同じ被爆県のチーム、サンフレッチェ広島との試合を平和祈念マッチとし、人々の心に思いを伝える。
平和といえばユニフォームにユニセフのマークを入れたのは画期的だ。通常はユニフォームに企業の名前を入れるとスポンサー料がチームに入る仕組みだが、逆にV・ファーレン長崎は3年間で1億円をユニセフに寄付すると決めている。

髙田社長

髙田 「選手にも、スタッフにも感じてほしいと思っています。こういうことが平和を推進することにつながるのではないか。そういう思いでユニフォームにユニセフのマークを入れました」

失敗は、「やらなかった失敗」と「一生懸命やらなかった失敗」の2つ。
一生懸命やったら失敗とは言わず、自己研鑽のための「試練」だ

V・ファーレン長崎の社長としての1年間はあっという間に過ぎた。現時点ではあと1年ほどで社長を退き、後進に道を譲ろうと考えているという。ちょっと早すぎるようにも感じられるが、「経営再建が私のミッションなので、1年後に幸いにして再建できたら、いつまでも私が社長でいる必要がない」という。これが「若い人たちが活躍する姿を見たい」という髙田社長のやり方だ。ジャパネットの社長を退任した時と同じである。

髙田 「2014年に亡くなった俳優の高倉健さんは『往く道は精進にして 忍びて終わり 悔いなし』という座右の銘をお持ちでした。これは天台宗の大阿闍梨、酒井雄哉さんから贈られた言葉だそうです。私がジャパネットを辞める時の思いは『往く道は精進にして 社長退任 悔いなし』。最後のテレビ出演では、スタジオに300人くらい集まってくれ、みんな泣いていました。そんな中、カラオケで私は青春時代に流行った『高校三年生』を歌って終わりました。笑っていたのは私だけです。あれは面白かったですね」

自らが手塩にかけて育てた会社を若い世代に委ねる。髙田社長にとってはむしろ当たり前のことなのかもしれない。

髙田 「私はジャパネットで長年やってきて、失敗したことがないんです。失敗というのは、やらなかった失敗と、一生懸命やらなかった失敗の2つ。一生懸命やったら失敗とは言わないんですよ。それは自己を高めるための試練です。そう考えるからあまり悩まないんです。そうすれば余裕も生まれるんですよ」

一生懸命やった失敗は、試練――。若い人たちは確かに経験がない。だからこそ大いにチャレンジし、試練を乗り越えればいい。それは若き日の髙田明そのものである。

髙田 「ジャパネットでもたいしたことはしていないんです。ただ、いろいろやっていると縦に横に課題が出てきて、放っておけなくなる。それに一生懸命取り組むと、目の前の課題が解決し達成感を味わえ、1つ前進できる。みんなの成長する姿も見られるんです。自己を更新するというのは大事だと思いますよ。私はそうやって、目の前の課題に300%の力でぶつかって来ました。
ですから若い人に言いたいことがあるとすれば、会社に入って希望とは違う部署に配属されても、そこで一生懸命やる。その仕事に意義を見出して全力で取り組んでほしいということです。そうすれば面白くなり、やりがいを感じ、ミッション達成ということにもなっていきます。それを繰り返していくことで、自分に自信が持てるようになるんです」

髙田社長

117歳まで生きると考えれば、70歳、80歳からの新たな挑戦は、余裕

カリスマ社長の去ったあと、ジャパネットは後任である長男の髙田旭人社長が中心となり、歩みを止めることなくさらに成長を続けている。ジャパネットホールディングスの旭人社長はこの4月、長崎市中心部にサッカー専用スタジアムを核とする総工費500億円超と見込まれる施設の構想を発表した。先代の薫陶を受けた若い世代が、大いにチャレンジしているのだ。

髙田社長は次にはいったいどんなチャレンジをするのだろう。
世阿弥が同じ『花鏡』に残した言葉「初心忘るべからず」が今後を占うキーワードなのかもしれない。世阿弥は人生の中にはいくつもの初心があると言う。70歳にも、80歳にも初心はあるということだ。

髙田 「人はいくつになっても、夢を持っていれば若くいられるんじゃないでしょうか。サミュエル・ウルマンも、詩『青春』で “年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる” と書いていますが、そのとおりだと思います。そして、人生何を始めるにも、遅すぎることはないし、夢や目標は途中で変えていいと思うんですよ。
私がジャパネットの社長を辞めた時は、何かこれをやろうと具体的に決めていたわけではありませんでした。そうしたらサッカーが出てきた。一生懸命何かに取り組む。そうすると自分にとってやらなくちゃいけない課題や、やりたい夢が年齢相応に次々と出てくるものです。私が仮に70歳でサッカークラブの社長を辞めるとして、そこから何をやるか今は分かりません。でもたぶん、70歳なら70歳の、80歳なら80歳の、自分なりの夢や課題が出てくると思うのです」

髙田明は何歳になっても今を生きる。体力はある程度は年齢相応に衰えていくかもしれないが、この人の気力が衰える姿は、どうしても想像できない。

髙田 「笑われるかもしれませんが、66歳で社長を辞めた時、真っ先に頭に浮かんだのは、ギネスの長寿記録にチャレンジしてみようということでした。ギネスブックに認定された男性の世界最高齢記録は116歳ですから、私は117歳にチャレンジしたいと。
過去にとらわれず、未来に翻弄されず、いつも“今”をしっかり生きながらその歳を迎えられたら最高ですね。117歳まで生きると考えれば、70歳、80歳からの新たな挑戦は余裕ですよ」

カリスマ社長は楽しそうに笑った。

髙田社長

TEXT:渋谷 淳

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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