Mugendai(無限大)
日本人はなぜ古文が読めなくなったのか ――ロバート キャンベル氏に聞く、原典をひもとき足元を見つめ直す魅力
2017年7月25日
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文学作品や歴史文献を数多く生み出した江戸から明治期の日本。しかし、現代の日本人の大方は原文を読む能力を失い、存在すら知らずにいる。なぜそうなってしまったのか。
ニューヨーク生まれの日本文学研究者として知られるロバート キャンベル氏は、明治政府がすすめた言文一致などの国語政策によって、それ以前と以後の言語に大きな「断絶」が生じたことを指摘する。それによって国家の近代化に成功した半面、多くの古い文学や資料が読まれないまま埋もれる結果を招いたという。
キャンベル氏は東京大学総合文化研究科教授から、2017年4月に国文学研究資料館(国文研)館長に就任。日本や世界に散在する30万件もの資料のデータベース作りに取り組んでいる。誰にでも検索が可能で、「地震や飢饉といった災害の時代を生きてきた先人の知恵や経験を知ることで、現代人の足元を見つめ直し行く手を照らすことができる」と、その意義を語る。
「東日本大震災が研究者としての転機になった」というキャンベル氏に、古文をひもとく意義や、なぜ現代日本人は古文が読めなくなったのか、そして現代ネット社会の在り方などについてじっくり伺った。
目次
明治維新で日本語は標準化され、過去との断絶が起きた
――米国出身のキャンベルさんが崩し字で書かれた日本の古い文学や史料を自在に読み解いていらっしゃるのを見ると、読めない日本人として「これでいいのか」と恥ずかしく、また残念に思います。
キャンベル 日本人は昔から文字資料を大事に伝承するメンタリティを持っていました。近世の日本は戦乱がなかったこともあり、文献や資料が実にたくさん残っています。私のような実証を重んずる研究者にとってはとてもありがたいことです。
しかし、明治維新の後に日本語が刷新され、過去の伝統からの断絶が生じました。日本が近代化・工業化し、国民国家に発展して行く過程で300もの藩は廃止され、方言に代わって標準化された共通言語を作る政策がとられました。これと並行するように書き言葉は古文から言文一致体へ、表記も崩し字から楷書体へと形を一変しました。
それが今日の社会の安定や経済的発展につながったことは事実ですが、他方で以前の文字文化と私たちを隔てる高い壁が生まれ、古文は読まれなくなってしまったのです。私の背後に平安時代の和歌の掛け軸がかかっていますが、流麗な崩し字で書かれているため、これを見た日本人の99%が「何が書いてあるのか読めない」と言います。
私が20代で九州大学に留学した時に、それまでハーバード大学で学んだ日本の1300年間の文学史は、江戸時代も含めて、ほんの氷山の一角でしかないことを知りました。特に江戸時代を見ると、大半の作品や資料は読まれることがなく、活字にもなっていません。私たちは「翻字」と言いますが、ワープロで打ったりして誰でも読める現代表記にされることなく眠っているのです。日本の「文学史」研究は、言わばすべてこれからだということもできます。
植民地を持つヨーロッパ諸国の先例に学んだ日本
――言文一致がもたらした影響は本当に大きかったのですね。
キャンベル そうです。明治30年代以降の学校教育では、見たり感じたりしたことをそのまま語るように書く言文一致の作文教育が進められていきました。日清戦争のような対外戦争では、全国から集まる兵士が号令ひとつで一斉に動けるように共通言語が必要でした。工場など労働の場も同じです。標準語を定めて普及させることは、明治政府にとって重要課題だったのです。
言語の標準化はヨーロッパに先例がありました。世界に植民地を持っていたので、現地の人に覚えさせる必要があったのです。岩倉使節団を始めとする役人や学者たちなどが大挙して訪欧し、やり方を学んできました。
井上ひさし氏の『國語元年』という劇作を読むと、そのあたりの事情がよく分かります。長州出身の文部省官吏である主人公が、「国語を統一せよ」と言う命令を受けて悪戦苦闘するコメディーです。舅と嫁は薩摩弁だし、使用人たちは遠野弁に津軽弁、江戸武家言葉に町人言葉などバラバラ。言葉は近代制度の根本であり、これを掌握することが明治政府にとっていかに重要だったかを、笑いとペーソスをまじえて表現しています。
その分、言文一致に対する抵抗勢力も大きかった。言文一致は東京帝大で学んだ坪内逍遥やエリート作家の山田美妙らがやっていることであって、自分たちには物足りないと感じている人たちも多く、大正・昭和に至るまで、凝った美文調で書く作家が絶えませんでした。泉鏡花はその1人です。
日本は近代化・民主化において際立って成功した国ですが、言葉の変化が激しくて、多くの人々がある世代を境にして、歴史に入って行けなくなりました。私はこの30年間、仲間と一緒に原典となる資料を発掘して活字にし、共有してきました。なかなか終わらない仕事ですが、それが魅力でもあります。
大震災で、物語は自分の気持ちを表す「乗り物」になると実感
――キャンベルさんは東日本大震災が研究者人生の転機になったと述べておられますが、具体的に説明していただけますか。
キャンベル 大震災の後、宮城県鳴子温泉にある2次避難所で、「ブッククラブ」を立ち上げ、数十人ほどの被災者の方たちと本を読む活動をしました。眼鏡をなくした方が多いので大きい活字の本を選び、かつ大震災で精神的に大きなショックを受けた人たちなので、推理小説のように根を詰めて読まねばならない本は避け、時間がゆっくりと流れるような短編小説を選びました。
その1つが幸田文さんの「台所のおと」でした。小料理屋を営む夫婦のほのぼのとした物語です。その本を真ん中に置いて、皆さんが人前では言えない喜怒哀楽や心の痛み、不安などを語り合い、気持ちがほぐれる場にしたいと思いました。寡黙だったのは1回目ぐらいで、あとは言葉が溢れ出るように、皆さんいろいろ語り出しました。
そこで得たものは、私の方が大きかったと思います。文学はどんな力を持ち、人々にどんな救いをもたらすのか。万葉のもっと前の時代から、人々は歌の形をとってリズミカルに語り合ってきました。日本は文学でできていると言えるぐらい、世の中の仕組み、自然のこと、人のこと、すべて文学を通して整理し伝えてきたのです。
人々は物語の中で遊び、物語は自分の気持ちを表す「乗り物」になります。そのことを、私は被災者と本を読む活動をすることを通して実感し、感銘を受けました。
――みんなで本を読み合う習慣は、現代では一般的ではありませんが、昔はどうだったのでしょうか。
キャンベル 明治前半から1000年くらい昔までの間は、人々があちこちで文学などを音読し、周りの人が仕事をしながら聴くのはごく普通のことでした。書斎にこもって独りで黙読し内省をするという近代の形とは異なっていました。
幕末に来日した欧米の外国人の記録を読むと、当時の日本人が町のいたるところで声を出して文学を読み、漢文の素読をし、その声が街道に響いていたことが分かります。欧米でも古代から中世まで音読の習慣がありましたが、13世紀には失われていました。ですから彼らは日本にその習慣が残っていることを発見して驚いたのです。
古記録を読めば、災害や飢饉からどのように蘇生してきたかが分かる
――キャンベルさんは「歴史資料や文学を読んで当時の人々の姿を知ることは、現代に生きる私たちの足元を見直すきっかけになる」と述べておられます。具体的に説明していただけますか。
キャンベル 江戸時代の260年間は世界史でも稀有な戦争のない時代でしたが、災害や飢饉は何度もありました。人々の暮らしと自然の関わりは深く、米国のトランプ大統領は「パリ協定」からの離脱を宣言し、米政府内からも抗議の声が上がっています。温暖化が進めば気候変動や災害がひどくなるかもしれない。しかし、日本にはそれらを生き抜くための、大陸とは異なる人文知がありました。
東日本大震災の後、古地震の研究が盛んになって、これまで知られていなかった活断層が全国にあることが分かってきました。古記録を読めば、その地域で過去にどんな災害や飢饉が起き、どのように蘇生し復興して行ったかが分かります。人々は非常時に備えつつ社会を立て直してきました。例えば江戸の町は大小さまざまな火災に遭うたびに、新しく工夫して住居や店を建て替え、空き地を増やしながら町を蘇生してきたのです。
何気ない景色をいとおしく詠う橘曙覧の「独楽吟」
――文学の中では実際にどのような人文知が描かれているのでしょうか。
キャンベル 私の好きな人に、幕末に今の福井市で生まれた商人で国学者・歌人の橘曙覧(たちばな・あけみ)という人がいます。1868年、維新の年に亡くなりましたが、正岡子規がその歌を高く評価し、世に知られるようになりました。
自分の周りにある自然の現象を細やかに詠み、風物ではなく、自分の命につながるものとして写生的に描きます。歌集「独楽吟」は、52首すべてが「たのしみは」で始まり、「時」で終わります。例えば森林資源である薪を燃やし炭で火を起こすことを歌にした1首。
たのしみは 炭さしすてて 熾(おき)し火の 紅(あか)くなりきて 湯の煮(に)ゆる時
火鉢に炭を捨て置いていたら再び燃えて湯がことこと沸いたよと、思いがけずお茶を飲めることになった幸せをシンプルに詠っています。別の歌集からも1首。
夕煙 今日はけふのみ たてておけ 明日の薪(たきぎ)は あす採りてこむ
彼には妻と3人の子どもがいますが、夕飯の支度をするかまどの薪は今日の分だけあればよい、明日はまた里山に行って薪を採ってこようという歌です。一度にたくさんの物を採って、値が高い時に売るような投資とは違い、その日使う分だけ採って大切に使おうというのです。絵の題材にもよく使われる「漁樵問答」(ぎょしょうもんどう)の木こりの話を思い出しますが、曙覧は何気ない景色や状況をいとおしく詠っています。
年末になると行商が来て「召せ、召せ、炭はいらんかな~」と売り歩くという歌もあり、当時の燃料の流通システムを教えてくれます。
黒船、一揆、幕府は持ちこたえるのか、高まる時代の危機感
――自然の花鳥風月を詠う昔の歌とは、ずいぶん趣が異なりますね。
キャンベル 昔の人は「月が美しい、花がきれいだ」と歌いました。例えば吉田兼好は『徒然草』の中で、月はきれいに見える夜だけ愛でるものではなく、春は霞が垂れこめていても花を愛でるものだと書きました。つまり月や花は目の前になくても思いを馳せて愛でることが風流だと言うのです。
しかし、曙覧はそうではなく、1つの炭が燃え尽きずに湯を沸かすメカニズムや、今日1日だけの薪を採って「足るを知る」生き方や、目の前をよぎる行商の姿に目を向けるのです。曙覧は10年、20年後にこの何でもない風景が、当たり前ではなくなることを予見していたのかもしれません。1840~50年代は黒船が来航し、盤石だった幕藩体制も金属疲労を起こし、百姓一揆が頻発しました。福井藩主の松平春嶽は世界情勢に明るく、危機意識を持っていました。天保の大飢饉や大塩平八郎の乱が起こり、国学者らは幕府が持続するのはもう無理ではないかと考え、尊王攘夷や世直しの機運が高まっていました。
福井からは安政の大獄で刑死した橋本左内のような志士も出ました。曙覧は武士たちと交流する中で、同じような危機感を感じていたのだろうと思います。「独楽吟」からもう1首。
たのしみは 意(こころ)にかなふ 山水(やまみず)の あたりしづかに 見てありく時
山水とは自然のこと。その瞬間に生きている喜びの表現は、近代的な自然観に近い感じがします。
30万件の資料を誰でも自在に検索し利用できるようにする
――話は変わりますが、国文研(国文学研究資料館)には膨大な文献や資料があり研究者もいます。これを今後どのように活用していかれるのでしょうか。
キャンベル 今、私たちは日本や世界に散在している貴重な日本の文献を発掘し、整理して高度な画像データベースを作ろうとしています。平成35年を目標に30万点のデータベースにタグ付けをし、文字からも絵からも自在に検索可能にする計画です。みんなが同じ土俵からアクセスして、それぞれの立場で活用できるようにすることが事業の根幹です。昔の人々の知恵や感性に目を向けることによって、世界的に均一化されたこのネット社会の常識を揺さぶることができるのではないか。国文研にはそのタネがたくさんあると思います。
自分の主張を補強する情報だけ勧めるSNSのアルゴリズム
――「ネット社会の常識を揺さぶる」について、少し説明していただけますか。
キャンベル 新聞や雑誌の時代はもとより、テレビやラジオの時代は、チャンネルを変えると、自分とは異なる立場の人や意見が出て来るので、否応なくそれに立ち向かわなければなりませんでした。
しかし、今は「フィルターバブル」と言われるように、インターネットに登録しているサイトやSNSを好みに即して選択し、ニュースや情報を手に入れることができます。Facebook、Twitter、YouTubeなども、アルゴリズムによって、その人がすでに選んだ実績に近い追加情報を勧めてきます。自分の主張を補強するものだけを取り入れることは心地良いのですが、どんどん内向的で狭隘(きょうあい)な思考になります。そこからフェイクニュースが生まれて蔓延していくのです。
これは考えてみれば恐ろしいことで、いまFacebookやTwitterに抗議が寄せられています。インターネットは1990年代から、世界のどこにでも自由に行ける、すべての情報が手に入るという理想の下に発展してきましたが、WWWの現実は「World Wide 」とは言えなくなっています。
食品会社や天文学・宇宙科学の人たちとも「交信」
――その意味でも国文研が果たす役割は重要になりますね。
キャンベル 情報を発信するだけでは相手を見ていないという点で無責任であり、むしろ「交信」が大事だと思います。理系の人たちにも国文研のいろいろな引き出しを使ってもらい、新しい安心・安全を一緒に築いていこうと思っています。
例えば、江戸時代には多くの料理本が出版されました。その食材や保存法、調理法を元に、ある大手食品会社と共同で、レシピの再現を試みています。
また、国立極地研究所や京都大学との共同研究では、藤原定家が13世紀に京都の小倉山荘で見た「赤気(せっき)」と呼ばれる天文現象が、実はオーロラであったことを突き止めました。『明月記』に記録があり、これまでは彗星だと思われていたのですが、実は巨大な磁気嵐が起き、日本でもオーロラが見えたのです。鎌倉時代の世界観が変わるほどの成果でした。
今後もぜひ、こうした「交信」を広げていきたいと思います。
TEXT: 木代泰之
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