IBM Research

WebアプリMolGXで体験する、AIと新素材の未来

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AIが創るサステナブルな新素材

あらゆる文明の発達を牽引してきた科学技術は、今後世界をどのように変えてゆくことが出来るのでしょう?IBMリサーチは、コンピューティング技術と物質科学が交差するところに新たな可能性を見出しています。

私達の住む世界は、二酸化炭素(CO2)を主な原因とする気候変動や、プラスチップごみによる環境汚染、未知のウィルスによるパンデミックなど、数多くの差し迫った問題に直面しています。もし排気ガスからCO2のみを濾し取って回収するフィルターや、バクテリアで素早く分解するペットボトル、幅広いウィルスに対応した薬など、これまでにない性質を持つ新素材を創ることが出来たら、このような地球規模の問題を解決することが出来るでしょう。

しかし新素材の開発には、一般に10年以上の歳月と100億円程度の投資が必要とされています。IBMリサーチは、急速に成熟しつつあるAI、ハイパフォーマンスコンピュータ、量子コンピュータ、ハイブリッドクラウド、ロボット技術を組み合わせることで、新素材の開発にかかるコストと時間を10分の1以下に削減することを目指し、各国の研究所で連携して研究開発を進めています。この戦略的な取り組みをAccelerated Material Discovery (AMD、加速する新素材発見)と呼びます[1]。

AMDの中でも特に重要な技術が、AIによる分子デザイン技術「分子生成モデル」です。ガラスやペットボトルも、水やカフェインも、あらゆる物質はすべて原子(炭素原子や酸素原子など)が組み合わさってできた分子という単位の集合で出来ており、分子を構成している原子を組み替えることで物質の性質を変えることが出来ます(図1)。

図1:カフェインの分子構造図1:カフェインの分子構造

しかし118種類もある原子の組み合わせによって構成できる分子のパターンはほぼ無限にあるため、「CO2を多量に吸収する」といった理想的な性質を持つ分子をデザインすることは非常に難しいことです。これが新素材開発に時間がかかる理由の1つです。

そこで私達は、画像生成やテキスト生成で使われるAI技術や、将棋やチェスで使われるAI技術などを材料科学専用に応用し作り込むことで、望ましい性質を持つ分子構造を、人間の材料専門家より遥かに高速にデザインする技術「IBM Molecule Generation Experience 」(通称:MolGX=モルジーエックス)を創りました。[2,3]。

これまでMolGXを用いて、グローバルの他の研究所とともに、環境毒性の低いフォトレジスト材料や[4]、CO2を効果的に分離するポリマー薄膜[5]など様々なサステナブルな材料を産み出してきました。また国内外のお客様の材料開発向けに、様々な形態でサービス提供しています[6]。

Webアプリ版IBM MolGXでAI体験

有償サービスとしてのMolGXは、新素材の分子構造を実際にデザインする実験化学者や理論化学者といった専門家が利用することを念頭に開発したものでした。また、利用するためにはシンプルなPythonスクリプトの記述といった最低限のITスキルが必要となります。つまり従来の科学技術ツールと同じように、材料科学やITといった専門色の強い「閉じた」ツールということが出来るでしょう。

しかしこの数年、急速に発達し続けるインターネットやクラウド技術を通じて、あらゆる情報や技術は「オープン」な形式で世界に配布され、興味のある誰もが簡単に手にとって学び、場合によってはその一部を書き換えることさえ可能になりつつあります。このような自由な学習と貢献の場所が数多く提供されることが、科学技術の発展には必要不可欠です。

このような背景のもと、私たちはMolGXの技術の一部をwebアプリケーションとして一般公開することにしました。子供から大人まで体験できる「科学博物館の展示」のようなWebアプリの実現を目指して、開発を担当したIBMガレージチームと議論を重ね、MolGXの複雑なワークフローの主要な部分だけを切り出し、ユーザーの目線の動きなども考慮し、幅広いユーザー層の方に簡単に使って頂けるようなGUI作りを目指しました。Webアプリ版のMolGXでは、大きく分けて以下の3つの作業ステップにより、誰もが簡単に分子デザインを実施できます(図2)。

図2:IBM MolGXの画面写真図2:IBM MolGXの画面写真

  • ステップ1(データ処理:物質データを観察し、AIの学習に用いるデータ集合を選択します)
  • ステップ2(AI学習:選択したデータ集合を用いて機械学習を行い、分子の性質を予測するモデルを作ります)
  • ステップ3(分子デザイン:作った予測モデルを使って、AIにより欲しい性質を持つ新分子をデザインします)

完成した Webアプリ版 MolGX は、2021年3月4日に一般公開して以来[7,8]、世界中から約1,000名のユーザーにアクセスされ、25,000個以上の新たな分子構造がデザインされました。SNSのアカウントでログインすることで、誰もが今すぐ利用することが出来ます。

MolGX、東大五月祭に登場!

Webアプリ版MolGXは、社内外の様々なイベントで活用されてきました。そのユニークな例が、9月19・20日に実施された東京大学の「五月祭」(今年はコロナの影響で9月実施)の出し物です。これは東京大学1年生の理科II・III類クラス有志によって企画されたもので、IBMリサーチと共同で実施されました[9]。

オンラインで実施されたこのイベントは、前半のレクチャーでは、原子や分子の概念から、AIの基本的な考え方、そしてAIで分子をデザインする方法論について、東大生らが中高生向けの解説スライドを作って(なんとラーメンの比喩で)、分かりやすく説明しました。そして後半は、複数のブレークアウトルームに分かれて、実際にMolGXに触れながら、分子デザインを体験しました。続くQAセッションでは、IBMの研究員へ「デザインされた分子は実際に合成できるものか」「開発で大変だったところは何か」など数多くの質問が寄せられました。

図3:東大五月祭の資料より図3:東大五月祭の資料より

2日間で高校生から社会人まで約40名が参加し、終了後のアンケートには「子供の頃の『あったらいいな』が現実になり感動した」「AIを駆使すれば化合物を作ることが出来ると知り、AIの未来性を感じた」「これから履修する化学が楽しみになった」と大好評でした。

数ヶ月に渡って企画を練り、解説の資料や台本を作り、20人近くの体制で運営のローテーションを回す東大生有志の皆さんの姿は熱心そのもので、MolGXをフル活用してサイエンスをお祭りとして楽しもうという意気込みが感じられました。ここには、webアプリや学生イベントといった新たな手段を通じて、サイエンスが一般社会へと広く開放されてゆく姿を認めることが出来るでしょう。今や、最新の科学技術は高度な技術を身に付けた専門家だけが関わるものではなくなりつつあります。

もちろん専門家によって高められてゆく領域は依然としてありますが、それ以外の部分がAPIアクセスやwebアプリといった様々な手段を通じて公開されることで、興味のある人誰もが自身のレベルに応じてそれにアクセスし、体験し、部分的にでも貢献できる世界が拓かれつつあります。Accelerated Material Discoveryの大きな展望のもと、MolGXを1つの種として、参加する意志さえあれば誰もが世界の求めるサステナブルな新素材デザインに加われるような、共創的な未来が実現されてゆくでしょう。

参考文献

1.「科学で化学をミライする」Think Blog Japan,
2. “Molecular Inverse-Design Platform for Material Industries”, S. Takeda, et al., KDD 2020.
3. “Molecule Generation Experience: An Open Pla5orm of Material Design for Public Users”, S. Takeda, et al., arXiv:2108.03044
4. Project Photoresist, IBM Research (2021)
5. Climate change: IBM boosts materials discovery to improve carbon capture, separation and storage
6. The Discovery Accelerator Comes to Europe, https://research.ibm.com/blog/stfc-discovery-accelerator
7. 日経新聞
8. Mugendai
9. 東大五月祭ホームページ


武田 征士
著者:武田 征士
東京基礎研究所 マテリアル・ディスカバリー プロジェクト・リーダー
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