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テクノロジーと人と社会:未来をアンロックする技術とは

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日本IBM研究開発の執行役員 森本典繁氏と、ワン・トゥー・テン・ホールディングスCEO澤邊芳明氏

取材・文:大内孝子

火星行きロケット、お手伝いロボット、空飛ぶ自動車、超高速鉄道——。1960年代の未来予測に出て来るような社会に現代はなっているだろうか。AIやロボット技術によって、そうした社会に近づいているかもしれない。

コグニティブ・コンピューティング、世界最小のコンピューター、量子コンピューターなど、次世代コンピューティング技術の研究開発に取り組む、日本IBM研究開発の執行役員 森本典繁氏と、広告や映像、空間、デバイス、サービスといった領域をハックし続ける株式会社ワン・トゥー・テン・ホールディングスCEO澤邊芳明氏の対談を通して、テクノロジーがもたらす未来を探る。

最先端テクノロジー、「想像」が実現の鍵

森本氏:さまざまなテクノロジーの先に何が起こるか、という壮大なテーマですが、少し身近なところから。未来に何が起こるか、これは昔からいろいろな人たちが考えていて、未来予測レポートというような形でも多く出ています。その予測がどうなったかというと、1960年代の未来予測にあった「ロケット」や「お掃除ロボット」など、実際かなり実現できています。まだできていないものといえば、空飛ぶ自動車でしょうか。

澤邊氏:あれはいつできるんでしょうね? 映画『Back to the Future』が描いた舞台はもう2年前です。プロペラ式の自動車も現れたりしましたが、あれじゃない。

森本氏:そう、あれじゃない(笑)。でも、そのような発想の「種」があるとそこから将来実現可能なテクノロジーを想像することができる。想像することが、実現するための大事なステップだと思います。実際に今、IBMでは医療のエリアなどで、過去にこんなことできたらいいなと思っていたことがいくつか実現しつつあります。

日本IBM執行役員 研究開発担当 森本典繁氏

1つは、本当に小さなコンピューターです。今は髪の毛の幅の数倍くらいのサイズのチップが実現できています。その中にプロセッサーとメモリー、バッテリー、通信機能が入っています。

90年代初めのパソコンくらいのパワーがありますが、メモリーもそれほど大きくないし、バッテリーも小さいので、ずっと稼働し続けることはできません。少し考えてちょっと動いて、また休むという使い方になるチップです。たとえば、ブロックチェーンのコードを入れて物体の認証やトラッキングを行う、あるいは小型のセンサーと組み合わせて、その中でデータを機械学習的に分析するくらいのことは可能です。また、人工関節などに埋め込んで動きを見ることも可能になります。病気や問題がなくてもいろいろなところに入れて、健康状態を分析することが十分にできるわけです。

もう1つが自動運転です。今、人が運転している状態で安全運転をアシストする「レベル3」までは十分にできています。しかし、そこから先、レベル4となるとそこで大きなギャップが生じます。運転手のいないレベル4以上になると、事故になったら誰が責任を取るのかといった議論が必要です。また、車がコグニティブになるためには、目的地に行けるという運転する機能だけではなく、カーブの曲がり具合や乗り心地など細かなことが重要になってきます。

これをAI的なものを積んで実現しようとすると非常に大変です。今の最先端技術では、運転席以外はAIと電池で満杯ということになってしまいます。つまり、「電力」「サイズ」をどうやって解決するかが大きな課題なのです。

人間の脳とコンピューターでは、出力にかかるパワーが圧倒的に違います。たとえば、今のプロセッサーで囲碁を指すには約20万ワットの電力が必要です。人間なら約20ワットですから、1万倍以上の開きがあります。では、人間の脳はどうやって動いているのだろうという話になります。それが、コグニティブ・コンピューターにつながってくるわけです。

人間の脳を模した「コグニティブ・チップ」が起こす変化

森本氏:人間の脳というのは、刺激が来たときだけ反応する「シナプスとニューロン」からなります。考えるときのメカニズムが違うからかかる電力も全然異なるということです。それをシリコンの中で再現できれば似たようなことができるのではないかと、シナプスとニューロンをモデル化して半導体の中に作ってしまったのがコグニティブ・チップです。

3年前の段階では、100万ニューロンで構成されるチップが動いています。それをどんどん並列化し拡張していくと、人間の脳に近いものを機械に持たせることができるようになるのではないかと。そうなると今の技術ではスパコンを3台積まないと走れない自動運転レベル4、レベル5が現実的なレベルで実現されてくるでしょう。

澤邊氏:自動運転が前提となった場合、人の時間の使い方は全然変わりますよね。また、お話をお聞きしておもしろいなと思ったのは、脳を模倣したチップができたときに、もしかしたら逆に人間のことが解明できるかもしれないですよね。やはり睡眠は重要なんだ、みたいなことがコンピューターにもあるのかもしれません。そういうのを考えるとおもしろいですね。

森本氏:コンピューターのメカニズムをつきつめていくと、人間と同じような問題が出てくる可能性はあります。すでにチャットボットで意図しない回答、誤った回答をするものが現れています。大量の情報を吸収させて会話を始めるとなったとき、いろいろな人の発言がベースになってレスポンスするわけですが、ランダムに集めたデータを何の選別もしないで入れてしまうと、突然差別的な発言など意図しない回答をしてしまうわけです。

澤邊氏:そういう意味では、人間もそうですよね。一方的な情報だけを吸収している人の意見は偏るだろうし、いろいろな情報を吸収している人は多様な考えを考慮した意見を持てるということはあると思います。

ワン・トゥー・テン・ホールディングスCEO澤邊芳明氏

テクノロジーは「土地勘」があって初めて力を発揮する

森本氏:量子コンピューターは、まだ各社開発途中ですが、通常のコンピューターでは「計算させる」というアイデアが出ないくらい複雑な計算が一瞬で解ける可能性があるということでビジネスへの活用が期待されています。

なぜそんなことができるのかというと、従来の「0」と「1」というビットではなく、1と0を同時に確率的に表現するという量子効果を使った新しいコンピューターだからです。今のコンピューターは、たとえば2ビットの場合「00」「01」「10」「11」の4つのうち1つを表現するという仕組みです。それを使って順繰りに計算していきます。一方、量子コンピューターでは、「0」と「1」に加えて、「0」と「1」が確率的にどちらも存在するという状態(量子ビット)も使うことができます。つまり、この4つの状態を同時に表現して、並行して計算できるのです。原理的に、2ビットの場合2の2乗で4通りの状態がありますが、その4倍計算できることになります。2の10乗は1024ですから、基本10ビットあれば、今のコンピューターに比べて1000倍の処理ができる、20ビットでは100万倍という計算です。

澤邊氏:コストは膨大にかかるわけですよね?

森本氏:1基で大量の計算ができますし、何台も必要ということはないので、コストパフォーマンス的には今のスパコンよりもはるかに優れています。ただ与える問題が重要です。5+5という簡単な問題をやらせても意味がありません。たとえば組み合わせ問題で変数が10あるものを2つ組み合わせたら、もうそれで100通りです。それを3万、4万と組み合わせたら膨大な計算量になります。そんな、スパコンを使っても3ヶ月くらいかかってしまうというものが、100ビットの量子コンピューターがあれば1プロセスです。

澤邊氏:天候シミュレーションとか向いているかもしれませんね。

森本氏:そうですね、それと物質の発見。今、スパコンでも非常に扱うのが難しいのがタンパク質の組成です。何にどう刺激を与えるとどんなふうにねじれるか、これを解明するにはたくさんの変数を同時に計算しなければいけない。組み合わせが指数関数的になって、計算に何千年とかかってしまう。量子コンピューターはそういう計算が得意です。

日本IBM執行役員 研究開発担当 森本典繁氏

森本氏:AIもそうなのですが「ターゲットは何か、何が欲しいか」ということを使い手が理解していること、言い換えると解決したい課題に関する専門知識がないと使えません。

一般的に言われている人工知能(AI)の中で、今、囲碁、将棋、スマートスピーカー、自動運転といった知識型AIというものが実用化されてきています。実際に医療の分野にはすでに入っていますが、AIにとってのスイートスポットは「ハイクオリティーで専門的なドキュメントがたくさん揃っていて、人間が聞きたいことに対してそのドキュメントのカバレッジが8割、9割くらいを超えている分野」です。使う側の人がどんな質問をしたらいいかわからなければ、AIは何の役にも立ちません。

澤邊氏:人工知能なので、与えられたお題に対しての最適解を求める能力は高いけれど、知性とは違うので、問い自体を生み出すことはできないということですね。

森本氏:それが課題でもあるし、特徴でもあります。良い質問にはすごく良い答えを返しますが。創薬も同じです。「この物質と物質でこういう順番で、この病気のメカニズムをアンロックしたい」という聞き方をすれば新しい薬が生まれる可能性はありますが「何か新しい薬はありませんか?」という質問をしたところで、あまり意味はありません。活用分野の専門的な知識と、こんな問いを投げかければ、求める回答が返ってくるといった「土地勘」があって初めて生かせるものなのです。

 
前編となる本稿では、IBMリサーチの最新テクノロジーをキーワードに、テクノロジーがもたらす人と社会への変化を俯瞰した。後編では、テクノロジーと共存する未来を生き抜くヒントに迫る。

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