量子コンピューター
Qiskit Runtimeの新機能を解説 — お客様は実際にどのように使用しているか
2022年12月8日
カテゴリー 量子コンピューター
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量子コンピューターが価値を提供するとはどういうことでしょうか? 私たちは、価値を3つの要素から成る方程式であると考えます。つまりシステムは、「パフォーマンス」、「機能」を備えていること、「摩擦が無く」ビジネス・ワークフローにシームレスに統合されていることが必要です。コンピューティングの次なる波を引き起こすために、当社がどのようにして量子コンピューティングから価値を引き出して軌道に乗せているかを解説します。
当社で最も知られているのはパフォーマンス・システムの提供ですが、今年度はさらに量子システムの規模、品質、速度において大きな進歩を遂げました。 ただし、私たちにとってそれと同じくらい重要なのは、お客様が最先端の機能をすぐに利用できること、その使い方を把握できることです。 今年の初めに公開されたQiskit Runtimeプリミティブによって、不要な詳細部分を抽象化することで実際のユース・ケースを模索しやすくなり、ユーザーは最新機能を簡単に利用できるようになります。 今年度のQuantum Summitでは、Qiskit Runtimeプリミティブの新しいエラー緩和機能を発表しました。そして重要なユース・ケースに取り組む際にQiskit Runtimeをどのように統合したかを当社のお客様に紹介していただきました。
新しいQiskit Runtimeのツールを使用した価値の探索
量子回路は量子コンピューターの価値の根幹であるので、回路を忠実に実行するためにはエラーに対処する必要があります。そこで今年のQuantum Summitで当社はQiskit Runtimeプリミティブを通じて、エラー抑制およびエラー緩和のツールをベータ版として提供することを発表しました。 これらの機能を使用すると、今まで以上に簡単に、エラーの処理に伴うオーバーヘッドのトレードオフを試行しながら、アプリケーションの量子回路の価値を探索することができます。
量子エラー訂正が実現する前に、ノイズのある量子回路のエラーを処理するためのいくつかの技術として、エラー抑制とエラー緩和と呼ばれるものがあります。 エラー抑制技術とは、回路を変更することによってエラーを除去する技術のことです。例えば、ゲートを追加したり、量子ビットを制御するために使用するパルスの形状を変更したりします。 一方エラー緩和では、関連する回路のアンサンブルを実行して出力を組み合わせ、後処理でノイズの影響を取り除くことでより正確な期待値を計算します。
エラー抑制については、量子コンピューターに先立ち、核磁気共鳴(NMR)の研究から生まれた技術が数多く存在します。 これらの技術の多くを量子コンピューターに組み込むことができました。Qiskit Runtimeではスイッチを切り替えるだけでこの技術を有効にできます。 Qiskit Runtime SamplerおよびQiskit Runtime Estimatorは、最適化レベル1以上の回路に動的デカップリング・エラー抑制技術を自動的に適用します。
エラー緩和技術では、コンパイル、実行、および後処理に、ある程度のオーバーヘッドが必要となります。 さまざまな方法にはそれぞれ異なるコスト/精度のトレードオフが伴うため、当社は「レジリエンス・レベル」と呼ばれる新しいオプションをQiskit Runtime プリミティブに導入しました。このオプションを利用すると、各自の作業に合わせてコスト/精度のトレードオフを調整することができます。 最初のレジリエンス・レベルでは、特に測定操作のエラーに対応するために設計された方法をオンにします。 これらの方法ではオーバーヘッドはかなり抑えられるため、レジリエンス・レベル1をデフォルトに設定しています。
より高いレジリエンス・レベルでは、回路内部のエラーにも対処できる技術をオンにします。 例えば、レジリエンス・レベル2では、ゼロ・ノイズ外挿(ZNE)を有効にします。これにより、Estimatorのエラーが減りますが回答に偏りがないことを保証するものではありません。 レジリエンス・レベル3では、確率的エラー・キャンセル(PEC)1と呼ばれる最も強力なエラー緩和方法をオンにします。私たちは今年の初めに、PECが量子演算子の偏りのない期待値を提供できることを実証しました。 このレベルは、提供できる中で最もロバストな精度保証ですが、ノイズ・モデルの学習や回路サンプリングに関してかなりのオーバーヘッドを伴います。 そのため、この方式ではコストと精度の調整ダイヤルが最大になるということは筋が通ります。
当社では、Qiskit Runtimeを使用した摩擦のないエラー処理を探求する取り組みの一環として、このレジリエンス・レベルのオプションを導入しました。 一方で、特定の方法をきめ細かく制御したいユーザーにはZNEのパラメーターを調整する機能など、エラー緩和プロセスを調整するための高度なオプションも用意しています。PECの高度なオプションも今後提供する予定です。
私たちはユーザーがこのベータ版を学びの機会として活用することに希望しています。特定の回路のノイズを減らすために多くの時間を費やすことは、どのような意味があるのでしょうか? Qiskit Runtime プリミティブでエラー緩和機能が有効になっている場合、レジリエンス・レベルの計算への影響を表すメタデータが結果に含まれます。そのため時間と精度のコストを正確に比較検討することができます。 また、このデータは、オーバーヘッドを削減しながらエラー緩和を適用するための最適な量子回路を構築する際にも役立ちます。例えば、繰り返し要素を多数備えた回路は、そのような構造を持たない回路に比べてエラー緩和の実行にかかるコストがはるかに抑えられます。
私たちは、このリリースでエラー緩和機能を使用することが、実行時の精度およびオーバーヘッドのバランスの取り方について対話するきっかけとなるように希望しています。 例えば、PECのコストは回路内の層の数に依存します。ここで1つの層は1時間ステップ分のゲートに相当します。 PECは回路に含まれるゲートのすべての層について学習する必要はなく、2量子ビット・ゲートを含む層だけを学習する必要があります。 さらに、2つの層に同じ量子ビットの集合に作用する同じゲートが含まれている場合、PECはそれを1回だけ学習すれば十分です。 ただし、サンプリング・ステップは層の総数によって異なります。
エラー緩和は、量子コンピューティングの未来を拓きます。そこではエラー率ではなく実行時間がユーザーにとって最も重要な課題となります。引き続きQiskitを使用してハードウェアにアクセスできますが、エラー緩和機能にアクセスできるのはQiskit Runtimeプリミティブを使用してIBM Quantumハードウェアにアクセスするユーザーのみです。
今日のアプリケーションへの量子回路の統合
価値とは、パフォーマンス、機能、摩擦のなさ、です。 しかし、実際に提供している価値が、Qiskit Runtimeプリミティブからのエラー緩和とエラー抑止が組み込まれた量子回路である場合、お客様がこれらの量子回路をユース・ケースに活用できなければ始まりません。
いくつかの分野では、古典的アルゴリズムよりも量子アルゴリズムの方が指数関数的および超多項式的に高速化できるという理論的な証拠があります。特に、自然界のシミュレーションや複雑な構造を持つ特定の種類のデータセットを処理する場合などが該当します。 また、検索と最適化の問題に対しても、より緩やかな二次で高速化する形で期待が持てます。 ただし、量子コンピューティングの実用化にあたり、高速化の理論的な存在を発見して証明するだけでは十分ではありません。 量子優位性を実現できる分野を模索するために、パートナー企業と連携して、量子アルゴリズムの高価値ユース・ケースを特定し、そのユース・ケースを量子回路にマッピングし、エラー処理を行う量子ハードウェア上で実行する必要があります。
私たちは一般的なユース・ケースに基づいて、このような種類の量子回路から最も影響を受けると思われる5つの統括的な業界を特定しました。その業界とは、「航空宇宙・自動車」、「金融サービス」、「ハイテク」、「エネルギー・環境・公益事業」、および「医療およびライフサイエンス」です。 これらの業界には、それぞれ材料設計、不正検知、触媒、創薬などの量子回路の活用が有望な領域があります。
こういった業界で、量子回路から価値を引き出すために、Qiskit Runtimeをパートナーのアプリケーションとサービスに統合することが私たちが共有するミッションとなっています。 Qiskit Runtimeは、統合を促進できる構造であり、影響力の高いツールと、参入障壁の低く比類のない量子ハードウェアへのアクセスを提供します。 当社では今後も、エラー緩和などの新しい統合ツールをQiskit Runtimeに導入していきます。そしてアプリケーションの研究やソフトウェア開発のためのより高度な機能をパートナーに提供します。
化学の導入事例
Good Chemistry社とDow社は、Qiskit Runtimeを使用して、量子回路を活用した材料設計の加速化を実現するためのワークフローを模索しています。 Good Chemistry社は、超並列スーパーコンピューターを利用して分子をシミュレートするQEMISTクラウドを開発し、コミュニティー・データとシミュレーションによって生成されたデータを活用して機械学習モデルをトレーニングすることで、シミュレーションにかかる時間やコストを削減しました。 またGood Chemistry社は、量子コンピュータにおけるエンドツーエンドの化学シミュレーションのためのTangeloオープンソース・ソフトウェア開発キットも導入しました。Good Chemistry社とDow社は、Qiskit Runtime EstimatorプリミティブをTangelo(Good Chemistry社のオープンソース開発キット)に統合することで、IBMの量子コンピューター上でエンドツーエンドの電子構造の計算を実現できました。
一方、QunaSys社とJSR社は、IBMのソフトウェアを使用して、JSRの主な課題の1つである照射時または電圧印加下での分子の挙動を調査する新しい方法を考案しています。 QunaSys社は、ユーザーの入力を量子アルゴリズムに変換する量子化学シミュレーション用クラウド・サービス「Qamuy」を開発しました。 QamuyはQiskit Runtimeとも統合され、Qiskit Runtime Estimatorとエラー緩和機能による期待値を受け取ります。 JSR社はQamuyおよびQiskit Runtimeを使用して、QunaSys社が開発した量子アルゴリズムを活用し、光合成特性を理解する上で重要な値であるメチレン分子のポテンシャルエネルギー面の交差領域における最小点を分析しました。
最後に、ローレンス・バークレー国立研究所の物理学者達は、Qiskit Runtimeを、NWChemEx(分子システムをモデル化するためのオープンソースの高性能な並列計算化学コード)に統合しました。 NWChemExは古典のコンピューティングを実行し、必要に応じて問題の一部をQiskitの量子回路に変換します。その後、Qiskit Runtimeプリミティブを活用してIBM Quantumハードウェア上で実行します。 Qiskit RuntimeプリミティブとNWChemExを使用することにより、LBNLの物理学者は、彼らの計算ファブリックでより密で効率的な量子と古典の相互作用を実現し、将来のビルドのためにそれらの相互作用を標準化する方法を見つけ出せるようになったのです。
エラー緩和機能を備えたQiskit Runtimeプリミティブのベータ版と、Quantum Networkで発表されたこれらの実例は、当社のお客様が量子回路から価値を引き出すために、Qiskit Runtime機能のワークフローへの統合を始めていることを実証しています。 当社は、IBM Quantumおよびより広範な量子コミュニティーが発表した最新の研究に基づき、開発ロードマップに従って徐々に機能を提供していく予定です。そして、それらの機能を活用した摩擦のない体験の創出を図っていきます。 私たちは、開発者の皆様がこれらの画期的な新しいツールを使用して、どのような種類のアプリケーションを構築するかを楽しみにしています。
- van den Berg, E., Minev, Z., Kandala, A., Temme, K.Probabilistic error cancellation with sparse Pauli-Lindblad models on noisy quantum processors. arXiv. Submitted on 24 Jan 2022 (v1), last revised 23 Jun 2022 (this version, v2)]↩
本記事は「Introducing new Qiskit Runtime capabilities — and how our clients are integrating them into their use」を抄訳し、日本向けに加筆したものです。
東京基礎研究所 リサーチ・サイエンティスト
入所以来、交通流シミュレーションやGPSデータ分析の研究などに従事。近年は、量子回路の最適化や変分量子アルゴリズムの高速化の研究などに従事。
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