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超高齢社会に「福祉」ではなく「テクノロジー」で挑む――VR研究者が描く日本の未来

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日本社会は今、人類史上類を見ないスピードで高齢化が進んでおり、既に「高齢化」社会から、「超高齢」社会に突入している。2050年には日本の人口は約9,500万人台にまで減少し、1.2人の働き手で1人の高齢者を支えなくてはならないといわれている。高齢者の生活や健康を保障するため、若い世代の負担増は避けられない。

こうした社会課題に対し、テクノロジーを活用して解決の道筋を探っているのが、「高齢者クラウド」の取り組みだ。このプロジェクトでは、高齢者自身が社会を支える人材として活躍できる社会を目指し、現在下記の5つの研究を柱に、さまざまな実証実験を進めている。

  • 高齢者のモバイルコミュニケーションを促進する「知識取得インターフェース」
  • 高齢者個人の場所や時間の都合に合わせた就労支援を行う「知識伝達インターフェース」
  • 獲得した情報を集約・分析し、高齢者個人のスキル把握に生かす「知識構造化プラットフォーム」
  • 「社会参加促進システム」=「GBER」
  • 「新規ビジネス創出システム」=「人材スカウター」

この高齢者クラウドのプロジェクトマネージャーを務めるのが、バーチャルリアリティ(VR)研究の第一人者で、現在東京大学バーチャルリアリティ教育研究センター 機構長である廣瀬通孝教授だ。上記5つの柱のうち、以下では、「GBER」と「人材スカウター」を中心に、VR技術がどのように超高齢社会の課題解決に貢献するのか、廣瀬教授に聞いた。

廣瀬通孝
廣瀬通孝
(ひろせ・みちたか)

東京大学大学院情報理工学系研究科 教授
昭和29年5月7日生まれ、神奈川県鎌倉市出身。
昭和57年3月、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。工学博士。同年東京大学工学部講師、昭和58年東京大学工学部助教授、平成11年東京大学大学院工学系研究科教授、東京大学先端科学技術研究センター教授、平成18年東京大学大学院情報理工学系研究科教授、平成30年東京大学バーチャルリアリティ教育研究センター長(併任)、現在に至る。専門はシステム工学、ヒューマン・インタフェース、バーチャル・リアリティ。主な著書に「バーチャル・リアリティ」(産業図書)。総務省情報化月間推進会議議長表彰、東京テクノフォーラムゴールドメダル賞、大川出版賞、など受賞。
日本バーチャルリアリティ学会会長、日本機械学会フェロー、産業技術総合研究所研究コーディネータ、情報通信研究機構プログラムコーディネータ等を歴任。

現実世界では難しい課題も、バーチャル世界で考えれば解決の糸口が

——廣瀬先生はVR研究の第一人者として知られていますが、ご自身の研究領域はどういった分野になるのでしょうか。

廣瀬 僕の研究室の研究テーマはVRです。VRという技術を抽象的に説明すれば、「身体と非常に親和性の高い、インタラクティブなコンピューターのインターフェース」ということになります。

VRといえば、HMD(ヘッドマウンテッドディスプレイ)を思い浮かべる人が多いでしょう。超小型のディスプレイをゴーグルの中に組み込んだもので、右を見たければ顔を右に向けるなど、身体の動きとシンクロして映像の世界を映し出します。この状態で移動するのであれば足を動かす、物をつかむ時に手を伸ばす、そんな形で、身体を忠実にトレースするインターフェースをつくっています。

——「VR」と聞くと、一般的にはHMDを着けて見るバーチャルな世界というイメージが強くなってしまいますが、よりリアルな世界と結びついたインターフェースなんですね。そんなVR技術が、高齢化社会の課題解決とどのように結びつくのでしょうか。

廣瀬 そもそもの発端は、「バーチャルな世界を作れば、高齢者もスーパーマンのようなバーチャルな身体を持つことができるのでは」と思ったからです。VR技術とは、今お話ししたように、実世界と人間との間に介在するコンピューターのインターフェースです。そしてVRの根底には、「コンピューターを介することで、現実世界と一味違った世界をつくることができる」という哲学があります。これがVR技術の基本なんですよ。

翻って高齢化問題を考えてみると、高齢化に伴うさまざまな社会課題を実世界だけで解こうとすれば、困難なハードルが多々ありますよね。たとえば「頭もしっかりしていて知見やノウハウも十分なのに、フルタイムで通勤することは体力的に難しい」という現実があります。こうした問題について、VRを活用して「物理的に移動しなくても大丈夫」という状況を作れば、活躍の場は広がります。

廣瀬通孝教授

時間・空間・スキルの労働要件を組み合わせて最適化する「Mosaic型就労モデル」

——取り組まれている「高齢者クラウド」とはどのようなプロジェクトなのでしょうか。

廣瀬 プロジェクトが本格化したのは2011年です。最初の3年間は、高齢者のバーチャル化、そして就労の実現に向けた具体的な技術の棚卸しを行いました。その過程で生まれたのが「Mosaic(モザイク)型就労モデル」という新しい就労の考え方です。

働きたい、社会に貢献したいと考えている高齢者の方はたくさんいらっしゃいますが、体力やその希望は多種多様です。たとえば「週2日なら働ける」「僕は週4日」という人がいる。さらに、「英語ができる」「経理に明るい」「海外事業の展開で実績がある」など、経験やスキルもさまざまです。これは雇う側からすれば好ましくない状況ですよね。そういう高齢者の方々を集め、言うなれば「アバター」のように1つのバーチャルな人格を形成し、その裏ではネットワークを介して複数の高齢者の方が結集しているというモデルです。こうすることで、「多様かつ高度なスキルを持つ人材」を安定して雇用したいと考えている企業のニーズに応えられますし、高齢者の方はもちろん自分の就労要件やスキルを満たすことができます。

——とても興味深いアイデアですが、実用化するのはなかなか難しそうですね。

廣瀬 このMosaic型就労モデルは、3つの軸で構成されます。1つは「時間Mosaic」で、各々が働ける日時を組み合わせるものですね。やり方としては、ちょっと細かいシフト表を組むだけなので、それほど高度なテクノロジーは必要としません。

もう1つが「空間Mosaic」です。これは仕事をする場所、仕事をしたい人の居住地域をモザイク化するものですが、実は空間要件は、VRのテレプレゼンス技術を活用すれば、かなりクリアできるのです。実際このプロジェクトでは、仙台と神戸に住む高齢者同士をテレプレゼンスで連携し、「ITに詳しい方が、初心者の方に使い方をレクチャーする」という実証実験を行い、成果を上げています。

最後に、少々ユニークなのが「スキルMosaic」です。企業が就労者に求めるスキル要件や任せたい仕事内容はさまざまですが、それを因数分解していくと、より具体的な知見やノウハウにブレイクダウンできますよね。その細分化したスキルを持つ人たちを組み合わせて、あたかも1人のようなチーム編成にするわけです。ブレイクダウンすることで、マッチングの可能性が高くなります。

Mosaic就労モデル
「高齢者クラウド」が提唱するMosaic就労モデル

——なるほど。現在どういった研究がどれくらいの成果を上げているのでしょうか。

廣瀬 現在は主に2つの実証研究を行っています。1つが「GBER」(ジーバー:Gathering Brisk Elderly in the Region)で、これは各地域に居住するシニア人材と、仕事やボランティア活動などさまざまな求人要件とのマッチングを行うWebシステムです。もう1つが「人材スカウター」です。これはGBERよりハイエンドな求人要件を扱うサービスで、登録しているシニア人材の職務経歴情報と、企業の求人情報の文言に対して自然言語処理を行い、よりマッチング精度の高い人材を検出するエンジンです。こちらはシニアエグゼクティブの就労を支援する専門の人材会社と共同で開発を行っています。

個人や仕事の特性をベクトル化する「GBER」、人材マッチングの精度を高める「人材スカウター」

——「GBER」と「人材スカウター」、それぞれの違いと成果について詳しく教えてください。

廣瀬 GBERは比較的簡単にできるマッチングプラットフォームです。GBER上では、ボランティアや趣味、生涯学習などを通して、高齢者の社会参加を促します。もちろんそれに限らず、地域の仕事に参加し、報酬を受け取ることもできるのです。GBERのマッチングで特徴的な点は「興味空間」を定義できること。ちょっと伝わりにくい用語かもしれませんが、仕事を求める人と求人中の仕事の特性をベクトルで表す仕組みです。GBERでは、仕事を求める高齢者の方が自分の情報を登録する時に、やりたい仕事や興味のある分野などをアンケートします。その回答によって、たとえば「肉体労働が得意」「事務作業より人と接するほうが好き」などの個人特性をベクトル化します。一方、求人中の仕事も「荷物の積み下ろし」や「営業」といった特性ごとに重み付けをし、ベクトル化することができます。その両者が近いときにマッチングが成立するという仕組みです。

この仕組みのもう1つユニークな点は、特性に合わせた仕事を紹介しても、求職者が断るケースが何回か続くと、その情報を基に求職者の興味ベクトルを更新することです。つまり、求職者の実際の行動を受けて、登録当初の自己申告をより現実に即した形に訂正するのです。これにより、より実現性の高い細かいマッチングが可能になります。GBERを使い続けることで、自分のプロファイルが見えてくることにもなるのです。

廣瀬通孝教授

——実際にGBERはどの程度利用されているのですか。

廣瀬 千葉県柏市に東京大学IOG(Institute of Gerontology:東京大学高齢社会総合研究機構)という組織があり、その組織を母体とした一般社団法人セカンドライフファクトリー(SLF)の協力の下、GBERの実証実験を進めています。

柏市はその地域柄、大企業で役員を務めていた方なども多く居住しており、GBERのシステム上で実際に就労支援を行うことができました。ただGBERに登録されている案件は、まだ実証段階ということもあり、たとえば「庭の木の剪定」など内容がやや単一という課題があります。先ほどのMosaic就労モデルでいえば、職務経験に基づいたスキルMosaicではなく、時間Mosaicのほうに重点を置いた案件が多い。これは今後考えていくべき課題ですね。

ただ、そういう課題がありつつも、2018年に入ってからは「高齢者クラウド」プロジェクトの外でGBERの実証研究がスタートしました。ある企業から「定年退職したOBの就労を支援するために活用したい」という要請をいただいたことに端を発しています。この問い合わせを機にGBERはApacheライセンス2.0の下でオープンソース化して、誰でも利用できる基盤として整備しました。これからもさまざまな地域で活用が進むことを願っています。

GBERのロゴ

 
GBERの「予定」画面
GBERの「予定」画面。予定を登録しておくと、スカウトを受けることができる。
※実際の利用画面では、黒塗り部分に利用者の名前が入る

GBERの募集画面
GBERの募集画面。日付で検索すると、仕事がある場所にピンが刺さる。
 

——人材スカウターはいかがでしょうか。

廣瀬 人材スカウターのほうは、すでにビジネスとして成立している「シニア求職者のマッチング」の精度をより向上させるという意味で、堅実に進んでいます。案件内容も、GBERと比較すれば知的労働の割合が高いのですが、だからこそマッチングが難しい分野とも言えます。

従来、こうしたマッチングは人材会社の優秀な担当者が行っていました。これを「機械学習で解決できるのでは」ということで、いま日本IBMの東京基礎研究所と共に人材検索エンジンの研究開発を進めています。人材スカウターはGBERとは異なり、クローズドな環境で進めている取り組みです。実社会への適用という観点でいえば、GBERのほうが一歩進んでいるかもしれませんね。

多様な就労チャンスを減らしているのは「高齢者」に対する「思い込み」

——伺ったように、廣瀬先生はさまざまな形で高齢者就労支援に取り組まれていますが、そこで見えてきた課題を教えてください。

廣瀬 まず、「高齢者クラウド」の現状は、高齢者就労の中でも実生活に密着した部分GBER)と、培われてきた高い経験値や知識をフルに活用する部分(人材スカウター)の両極にとどまっていて、まだカバーできていない真ん中の部分が非常に広範囲にわたっています。そこは範囲が広いからこそ、本当にいろいろなスキル、人材、需要があり、そこをうまくすくい上げることが難しいんですよ。その状態から、有用なスキルを掘り出すには時間をかけなくてはいけません。だからこそ、GBERのように自分の興味関心や仕事の特性をベクトルで表現したり、そのプロファイリングを更新したりすることで、より複雑なマッチングを実現していきたいと考えているわけです。

ですが残念ながら現在GBERに登録されているのは、先ほど申し上げたように、草刈りのような単純作業に近い案件がほとんどで、スキルの多様性は十分ではありません。雇用者側の中で「高齢者だから簡単な作業をお願いしよう」という意識が勝ってしまうのかもしれませんが、こうした理由によってスキルMosaicの実現や実証にはなかなか結びつけていないのが現状です。

——そこは技術ではなく、社会的な課題かもしれませんね。

廣瀬 そうですね。高齢者だから弱いとか、能力に限界があるとこちらが勝手に想像してしまうのかもしれません。繰り返しになりますが、決してそんなことはありません。また、技術的な課題として、GBERと人材スカウターがそれぞれ別の技術で構築されており、運用もバラバラという状態であることがあります。しかし高齢者の就労という大きな課題観でいえば、この2つは親和性も高いので、融合していく価値は十分にあります。

廣瀬通孝教授と、超高齢化した2055年の渋谷
2055年には高齢者人口が40%を超えるという予測のもと作成された、「超高齢化した2055年の渋谷」

超高齢社会に、「福祉」ではなく「テクノロジー」の力で貢献する

——テクノロジーによって高齢社会の解決の道筋が見えてくると同時に、テクノロジーだけで解決できない社会課題も明らかになってきたわけですね。

廣瀬 このプロジェクトについて歴史的な意義があるとすれば、高齢化問題を「テクノロジーによるソリューション」という、少々特殊な視点で研究を進めたことだと思います。高齢社会の最大の課題は、労働可能人口が減り、高齢者を支える基盤が揺らいでしまうことです。この解決策として、おそらく大多数の人が思いつくのが「外国からの移民」と「女性の就労」の2つでしょう。

しかし、この高齢者クラウドのプロジェクトはテクノロジーの力で高齢者自身が社会を支えるようなモデルをつくろうというところから出発しているんです。個人的には、高齢社会の課題解決について、こうしたテクノロジー路線は、もっと声を大にして訴えてもいいと考えています。もちろんおっしゃるように、テクノロジーですべてが解決されるわけではないのですが。

廣瀬通孝教授

——高齢社会の課題解決に対し、テクノロジーが果たす役割は大きいというわけですね。

廣瀬 はい。かつて人生60年、長くても70年といわれていた時代がありましたが、当時の定年は55歳だったと思います。ところが21世紀の今日は「人生100年時代」と言われています。仮に65歳定年だったとしても、残りが35年も続くわけですよ。能力も高く、実績もあるのに、そういう方々が活躍できる環境は、残念ながら非常に少ないというのが今の状況です。

高齢者全員が「か弱くて能力がない存在か」と言えば、決してそんなことはありません。周囲を見渡すと、むしろ「元気で能力のある高齢者が多い」と感じるのではないでしょうか。そういう方々の力を生かし、これからの超高齢社会を自分たちの力で支えるイノベーションの実現に向け、VRをはじめとするテクノロジーは大いに貢献できると思います。

TEXT:岩﨑史絵

*本研究の一部は科学技術振興機構(JST)の研究成果展開事業【戦略的イノベーション創出推進プログラム】(S-イノベ)の支援によって行われました。

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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