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眠気のメカニズム――「現代神経科学最大のブラックボックス」の解明と、創薬に挑む

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今、睡眠に対する社会的関心が高まっている。睡眠障害は肥満などメタボリック症候群の引き金になるだけでなく、免疫異常やがんの発生リスクを高める事実も明らかになってきた。
筑波大学・国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)機構長の柳沢正史教授が、睡眠と覚醒の切り替えを制御する脳内神経伝達物質「オレキシン」を世界で初めて発見し、一躍世界の注目を集めたのは、1998〜1999年のことだった。
その後、米国の製薬企業メルク社は、オレキシンによる覚醒作用を抑えることで睡眠を促すタイプの新規の睡眠薬を発売したが、柳沢教授は逆に覚醒作用を活かす創薬に挑戦している。これが開発されれば、うつ病やアルツハイマー病などから生じる日中の眠気を抑えるだけでなく、現代人を悩ませる、メタボリック症候群をはじめとした多くの生活習慣病を改善するなど、大きな効果が期待されている。
創薬の一方で、「眠気とは何か」という本質に迫る研究でも成果が出始めている。昨年11月にはマウスの睡眠と覚醒を制御に関する2つの遺伝子を突き止めて発表した。
「睡眠は現代神経科学最大のブラックボックス」と語る柳沢教授に、睡眠研究の現状や展望を伺った。

柳沢正史
柳沢正史
(やなぎさわ・まさし)

文部科学省世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI) 筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)機構長/教授、神経科学・分子薬理学者。1960年東京生まれ。筑波大学医学群・大学院終了、医学博士。博士課程の学生時代に血管の収縮を促すホルモン「エンドセリン」を発見。その成果が、ノーベル生理学・医学賞を受賞したゴールドシュタイン博士とブラウン博士の目に留まり、米テキサス大サウスウェスタン医学センターに独立研究室を開設。1998年には脳内神経伝達物質「オレキシン」を発見し、睡眠研究の糸口となりうる輝かしい成果となった。2003年には米国科学アカデミー会員に選出。現在の研究は、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)に採択されており、睡眠と覚醒の制御機構の解明を目標として、果敢に挑戦を続けている。2010年に内閣府最先端研究開発支援プログラム(FIRST)の採択を受け、母校の筑波大学に研究室を開設。2012年、文部科学省世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)を設立し機構長に就任、現在に至る。2016年、紫綬褒章を受章。

たまたま発見したオレキシンが世界の睡眠研究の突破口に

――まず、先生が1998年に発見された脳内神経伝達物質「オレキシン」は、どのようなメカニズムで睡眠と覚醒を制御しているのか、分かりやすく解説していただけますか。

柳沢 脳の内部では、神経細胞の軸索から放出された神経伝達物質が、周りの神経細胞の樹状突起にある受容体に結合して情報を伝達します。伝達物質をカギとするなら、受容体はカギ穴という関係にあります(図1)。

【図1】脳内の情報伝達の仕組み
【図1】脳内の情報伝達の仕組み

ところが、受容体の中にはどんな伝達物質と結合するのか未知のものが多く、「オーファン(みなしご)受容体」と呼ばれています。

私は1990年代後半、米テキサス大学で研究していたとき、オーファン受容体群の1つである「7回貫通型」というグループの受容体に興味を持ち、カギになる伝達物質は何だろうと研究しました。いろいろな脳内物質を調べ、たまたま最初に見つけたのが視床下部外側野から出るオレキシンだったのです(図2)。

【図2】脳内の覚醒物質「オレキシン」資料提供:柳沢教授
【図2】脳内の覚醒物質「オレキシン」

オーファン受容体のカギ物質を突き止めたのは世界で2番目です。ビギナーズ・ラックでした。ただ、当初はオレキシンがどういう機能を果たしているかは、よく分かりませんでした。

そこで、遺伝子操作でオレキシンを持たないマウス(ノックアウトマウス)を作り、何が起きるかを調べました。マウスは夜行性なので夜間の行動を赤外線カメラで観察すると、元気に行動していたマウスがいきなり行動を止め、30秒~1分たつとまた元に戻ることを繰り返していました。ヒトでいうところの「ナルコレプシー」という睡眠障害の症状が1999年に見つかったのです。
この病気になったヒトは日中に急に耐えがたい眠気に襲われたり、全身の力が抜けて倒れ込む情動脱力発作を起こしたりします。600人から2000人に1人ぐらいの割合で発症する病気です。

2000年には、スタンフォード大学の西野精治教授とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のグループが別々に、ナルコレプシーの患者の脳ではオレキシンが欠乏していることを発見しました。オレキシンが欠乏すると、人は覚醒を正しく維持できず、睡眠と覚醒の切り替えが不安定になるのです。逆に言えば、オレキシンは覚醒の維持にきわめて重要な物質であることが明確になりました。

柳沢教授

大手製薬会社はオレキシン受容体拮抗薬を睡眠薬として発売

――柳沢先生が「たまたま発見した」とおっしゃるオレキシンが、その後の睡眠研究の方向性を決めたわけですね。米メルク社など大手製薬会社は、オレキシン受容体の拮抗薬(阻害薬)を睡眠薬として発売しました。

柳沢 メルク社の睡眠薬は「ベルソムラ(美しい眠り)」という商標名で、日本では2014年に認可されました。オレキシン受容体に、別の化学物質を詰め込み、オレキシンの行き場をなくして受容体が活性化しないようにする睡眠薬です。

私は当初、ベルソムラを服用すると、オレキシンの作用が阻害されるためにナルコレプシーを引き起こす心配があり、いい薬にはならないだろうと予測していました。
ところがフタを開けてみると、ナルコレプシーは起きませんでした。マウスにベルソムラを大量投与しても、なぜかはよく分かりませんが、なかなか症状が出ません。副作用として翌朝も眠気が残るとか、夢見が増えるといったことはありますが、睡眠薬としては自然な範囲です。

日中の眠気を抑える薬の開発を目指し、小分子量化合物を探索

――先生はメルク社とは逆に、オレキシン受容体を活性化する作動薬を探索されているのですね。

柳沢 そうです。オレキシン受容体作動薬はナルコレプシーだけでなく、うつ病、アルツハイマー病、時差ぼけや種々の医薬の副作用などを原因とする日中の眠気を抑える薬になります。探索しているのは分子量500~600以下の小分子量化合物で、オレキシンと同じようにカギ穴であるオレキシン受容体に結合して活性化させる物質です。

それならオレキシンそのものを脳内に入れてやればいいではないかと思われるかもしれませんが、オレキシンは分子量が3500ほどあるタンパク質で、血管から脳内に入ることができません。脳には外部からの異物侵入を防ぐために脳血管関門という高いバリアがあり、これにブロックされるのです。

――どのような方法で探索しているのですか。また進捗状況はいかがでしょうか。

柳沢 化学構造がすべて違う約25万種類の化合物について、網羅的に効能をスクリーニングしています。オレキシン受容体を活性化するかどうかを細胞で調べ、少しでも活性化する物質があれば、それらに共通する化学構造を見つけ、それをヒントに創薬化学の専門家が新たな物質をデザインし、さらに強く活性化する物質を絞り込んでいくのです。

すでに実験動物で使えるプロトタイプの物質が得られています。腹腔注射でこの物質をオレキシン欠乏のマウスに入れてやると、ナルコレプシーの発症が強力に抑えられます。また、正常なマウスでも覚醒を促進することを確認しました。これらの中からヒトの臨床試験に使える物質が出てくると期待しています。
実用化に向けては、まず動物実験で毒性や副作用を確かめた後、臨床試験の第1相~第3相で安全性や薬効、他の治療法との比較をします。実用化へのハードルは高く、時間がかかりますが。

柳沢教授

基礎代謝を高め、肥満などメタボリック症候群にも効果

――オレキシン受容体作動薬は、肥満などメタボリック症候群(肥満、高血圧、高脂血症、糖尿病など)の改善にも効果があると述べておられます。それはなぜなのでしょうか。

柳沢 オレキシンで覚醒を維持すると、人は食欲が増しておいしく食べるようになります。しかし、長期にわたって観察すると、オレキシンの働きが強い人ほど痩せ、弱い人ほど太るという一見逆の結果が得られます。マウス実験でも、高脂肪食を食べさせるとマウスは通常太りますが、オレキシンを投与すると、よく食べるのに太らないのです。

なぜそうなるのか。確かにオレキシンは食欲を高めるのですが、半面、基礎代謝を増やしてエネルギーを多く燃やす働きがあるのです。その結果、消費するエネルギー量が、摂取したエネルギー量を上回って痩せるのです。オレキシン受容体作動薬でメタボリック症候群が改善するのはそのためです。

また昼夜の生活リズムのメリハリが大きい人ほど、メタボリック症候群にならないことが知られています。これも昼間にオレキシンの量を増やすことが、メタボの予防に有効であることを示しています。ただ、代謝率が高まるメカニズムはまだはっきり分かっておらず、解明はこれからの課題です。

1万匹のマウスを使い、遺伝子レベルで睡眠の謎に迫る

――オレキシン受容体作動薬の創薬とは別に、IIISでは人はそもそもなぜ眠くなるのか、という根本的な謎を遺伝子レベルで解明しようとされています。その解明はどこまで進んでいるのでしょうか。

柳沢 脳を持つすべての動物は睡眠と覚醒を繰り返しますが、動物の種によって1日の睡眠量が決まるメカニズムは分かっていません。調節のメカニズムとしては体内時計による制御(サーカディアン制御)と恒常性制御(ホメオスタシス制御=内部状態を常に一定に保とうとする制御)があります。恒常性制御では、眠っていないと眠くなり、その眠気を取るには眠るしかない、という眠気のフィードバックが働きます。このメカニズムについては、これまでたくさんの仮説が唱えられてきましたが、どれも正解ではありませんでした。

柳沢教授

そこで私たちは仮説を立てない探索研究をしようと、マウスを使ったフォワード・ジェネティックスという手法で挑んでいます。1匹ごとに数十カ所のランダムな変異遺伝子を入れた大量のマウスを作り、睡眠と覚醒に異常があるかどうか、1匹ずつ脳波を取って調べています。マウスには約2万個の遺伝子がありますが、おそらくそのうち10個〜数十個が睡眠に関わっていると推定しています。

睡眠と覚醒に異常が見られるマウスはおよそ1000匹に1匹という低い確率なので、それを突き止めるには少なくとも約1万匹のマウスが必要になります。1週間に60匹のペースで現在8000匹まで調べました。異常が見られるマウスの子孫の家系を作って解析すると、どの染色体のどの遺伝子に原因があるかを突き止めることができます。

すでに睡眠の制御に関与する重要な遺伝子数個が見つかりました。そのうち2個については昨年11月に発表しました。それ以来、世界の研究のランドマークになっています。これを起点にして睡眠の経路を調べ、制御の仕組みを明らかにしたいと考えています。

柳沢教授

脳は睡眠中も何か大切な作業をしている

――人や動物が眠ることには、そもそもどういう意味があるのでしょうか。

柳沢 眠っている間に脳が記憶を整理統合していることは、ほぼ確立した考え方です。毎日の覚醒中に入ってくる情報で脳がパンクしないためには、取捨選択して古い情報を捨てるという作業が必要になるからです。

しかし、取捨選択するのになぜ意識を失った状態、つまり脳をオフラインにしなければならないのかが説明できません。深く眠るノンレム睡眠のときも、脳の代謝率は殆ど減っておらず、脳は「休んで」はいないのです(図3)。

【図3】深く眠るノンレム睡眠のときも、脳は休んでいない。
【図3】深く眠るノンレム睡眠のときも、脳は休んでいない。

コンピューターに例えれば、オフライン・メンテナンスの状態。脳はいわば電源が入ったまま外界から切り離されて、何か大切な作業をしているのです。

動物は眠っている間は捕食者など種々のリスクに曝されます。意識を失わない方が身の安全を保てるし、進化には有利に働くと思えますが、眠らない動物はいません。夢を見る眠りであるレム睡眠は、脳波が覚醒状態とほぼ同じに戻る眠りで、たぶん両生類から爬虫類が生まれた後、哺乳類や鳥類が分かれたあたりで獲得した機能だろうと思います。系統樹でそれ以前の動物では、レム睡眠とノンレム睡眠の区別はハッキリしません。いずれにせよ、睡眠は生き物の進化の歴史とも密接に関係しています。

研究室

がんの発生リスクも高める「睡眠負債」

――ところで、睡眠不足が借金のようにじわじわ積み重なる「睡眠負債」が今、話題になっています。睡眠負債は免疫システムに影響を及ぼし、がんのリスクを高めるとして警鐘を鳴らす研究も出ています。こうした睡眠に対する社会の意識の高まりについては、どのようにお考えですか。

柳沢 関心の高まりはとても良いことだと思います。慢性的な睡眠不足の蓄積をあらわす睡眠負債(sleep debt)という語は、昔からある学術用語です。これが、がんや生活習慣病、うつ病、アルツハイマー病などいろいろな病気のリスクを高めることは疫学的に証明されています。例えばメタボリック症候群は、睡眠以外の条件が同じであれば、睡眠不足の人ほど確実に悪くなります。

気をつけたいのは、最近、「眠らなくても大丈夫」、「短い睡眠で効率よく」などと宣伝する類の本が書かれていることです。睡眠の機能はまだ殆ど分かっていないし、人の脳が必要とする睡眠量は、4時間程度では絶対的に足りません。必要な睡眠量には個人差がありますが、殆どの人は6~8時間のあいだに入り、平均すれば約7時間です。

柳沢教授

精神のガラパゴス化を防ぐため、若いうちに1度は外国に住んでほしい

――最後に、先生は「2000年から2010年にかけて、北米に滞在する日本人研究者の数は3分の1に減った」と嘆いておられます。ご自身は筑波大学の博士課程で発見した血管収縮物質「エンドセリン」が注目され、米テキサス大学に移って長年研究されました。そうしたご自身の体験を踏まえ、若い世代へのアドバイスをお願いします。

柳沢 私がいつも言っているのは「若いうちに1度は必ず外国に住みなさい」ということです。高校生、大学生でもいいし、せめて30代までに、短くても2年ぐらい住むべきだと思います。そうすれば日本の良い所も悪い所も見えてきて、精神がガラパゴス化しないで済むのです。

私自身は20代でエンドセリンを発見し、いろいろな大学からオファーが来たので、とにかく何も考えずに米国に渡りました。エンドセリンは、その拮抗薬が肺高血圧症の薬としてすでに実用化されています。
1991年から24年間、テキサス大学に滞在しましたが、睡眠研究が日本のFIRST(最先端研究開発支援プログラム)やWPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)に採択されたのを機に、帰国しました。いまIIISのメンバーは学生を含めて約150人で、その30%は外国人です。重責ですが、これからも優れた研究成果を出し続けたいと思っています。

TEXT: 木代泰之

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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