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食卓の近代史――料理書から見る日本の食文化

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2013年12月、「和食 日本人の伝統的な食文化」が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。
理想的な健康長寿食であり、「食材と向き合い、旬を大切にする日本文化」の象徴とされる和食は、古くから伝わる日本独自のものと思われがちだが、その形成にはさまざまなものを取り入れ融合してきた歴史がある。特に近代になって西洋から持ち込まれた異国の食材や調理法は、日本の食卓に大きな変化をもたらした。
「和食」の変化と融合・発展を「料理書」という視点から研究するのは、梅花女子大学 食文化学科の東四柳祥子教授だ。「料理書」から見えてくる日本の食文化とは?

東四柳祥子
東四柳祥子
(ひがしよつやなぎ・しょうこ)

梅花女子大学食文化学部食文化学科教授 博士(学術)。
1977年、石川県生まれ。1996~2000年 東京女子大学文理学部英米文学科。2000~2002年 東京家政学院大学大学院人間生活学研究科。2002~2005年 国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程。 専門分野は比較食文化論。子どもの頃から、大の料理書好き。東京女子大学在学中は、料理番組や料理雑誌のアルバイトを通して、食の情報を伝える現場を経験。大学院では、日本の料理書と諸外国の料理書の比較研究にのめり込む。著書に、『料理書と近代日本の食文化』(単著/同成社)、『近代料理書の世界』(共著/ドメス出版)、『日本の食文化史年表』(共編/吉川弘文館)、Japanese Foodways, Past and Present (共著/University of Illinois Press)など多数。

文明開化後の富国強兵が日本の食卓を変えた?

――東四柳さんが研究されている「料理書」とは、どのようなものなのですか。

東四柳 現代風の言い方をしますと、「レシピ集」です。料理の作り方を共有する書物ですね。
私は主に明治・大正期の料理書を、研究テーマとしています。明治期といえば、まさに欧米の大国に追いつけ追い越せという富国強兵の時代。しかし開国後ほどなくして、来日する外国人の体格の良さに対し、日本人はある種の脅威や劣等感を感じるようになります。そうした中、関心を寄せるようになったのが西洋人の肉食でした。実際日本国内でも明治の早い時期から、西洋諸国の食事作法や調理法を伝授する西洋料理書の翻訳がなされました。西洋料理書の翻訳は、途方に暮れる日本人にとって、獣肉の調理法の伝授にも一役買ったのです。
一方で、強い国家形成の礎に、女性の家庭での貢献が期待されました。中でも日常食のあり方を問う料理書が、明治の中頃より軒並み増加し、おいしくてバラエティー豊かな食事で家族をもてなすことこそ、主婦の最重要課題と主張する声もみられるようになります。なお、こうした家族の料理を「家庭料理」と称するようになるのも、まさにこの頃です。
時代が大正に変わると、今度は栄養という観点も入ってきます。特に明治の終わりから大正にかけての時期は、日清・日露戦争、第一次世界大戦への参戦、また昨今話題のスペイン風邪の流行など度重なる難局の中で、いかに効率よく健康を維持するかが問われた時代でもありました。実際、未来を担う子どもの健康管理も大正期以降は特に重視されるようになり、学校での牛乳奨励、乳製品を使用したレシピの提案など、動物性食品へのまなざしはますます顕著となっていく様子も確認できています。

 『洋食のおけいこ』(1903)

 『洋食のおけいこ』(1903)
『洋食のおけいこ』(1903)にみる興味深い料理名の翻訳 東四柳祥子教授所蔵

――料理書の翻訳となると西洋料理のレシピだと思いますが、当時は富裕層向けだったのでしょうか。

東四柳 明治前期の料理書の挿絵を見ると、そのほとんどがプロの料理人のために書かれたものであることがわかります。女性向けの西洋料理書が出版されるのは、明治の終わり頃。しかし当時はまだターゲットとする女性読者が、実際に料理を作っていなかった可能性があることも忘れてはなりません。西洋料理書ではありませんが、明治中期の『素人料理年中惣菜の仕方』(1893)という家庭向け料理書には、料理書を持って、使用人に指示を出す主婦が描かれています。こうした挿絵からは、この当時の女性読者の家庭では、料理書を読む人と料理を作る人が別であったことが類推されます。なお使用人ではなく、主婦も調理に関わることをすすめる記述は、明治後期より徐々に見られるようになっていきます。

『素人料理年中惣菜の仕方』
料理書を手に指示する主婦と使用人。
花の屋胡蝶 『素人料理年中惣菜の仕方』 静観堂(1893)
味の素食の文化センター所蔵

東四柳 また家庭向け料理書の出版が盛んになるにつれ、わかりやすい挿絵が増え、手に入りやすい食材や調味料でアレンジする工夫も徐々に試みられるようになっていきます。実際の食生活記録を調査しても、キャベツがないなら白菜を、オムレツの中身は前日の残り物でアレンジするなどの動きがあったことも確認できます。いつの時代も、料理書はあくまでも憧れの世界であって、必ずしも料理書に書かれた通りに作らなくてはいけないというものではなく、そこに作り手の創意工夫が加わり、発展してきました。これが、現代の「和食」や「日本食」と呼ばれている無国籍で多様な料理を形作っていった一因ではと考えます。

東四柳祥子教授

和食は日本人の柔軟な思考と嗜好のたまもの

――和食は日本人の柔軟な思考と、いろいろなものの融合から生まれたものなのですね。

東四柳 何といっても和食の面白さは、異国の食文化との融合の上で見事に成り立っているところです。海外から入ってくる食材や食品、料理法や加工法と柔軟に向き合いながら、自分たちのセンスやお財布事情と折り合いをつけつつ発展してきました。
特に近代以降、戦争や災害などの非常時を除けば、異文化受容に果敢に挑み、持ち前の勤勉さで「なんとかして、この料理を自分たちの国に根付かせることができないか」と努力してきた日本人の真摯な姿があったのは確かです。ラーメンも、焼き餃子も、オムライスも、カレーライスも、みな広義の和食です。これこそ、日本人の柔軟な思考と嗜好のたまものですよね。
また最近では、海外でお弁当ブームが起きています。健康的かつ彩りの良い小さなおかずを複数楽しめる宝石箱のようなお弁当に魅せられ、お箸を上手に使い、舌鼓を打つ外国人も急増中です。ロンドンでは、「LET’S GO BENTO!」というポスターも見かけました。和食は、今まさにグローバルフードへの転換期にあるといえます。

LET’S GO BENTO!のポスター

お惣菜の写真

ロンドンの街角で見かけた和食事情
ロンドンの街角で見かけた和食事情
撮影:東四柳祥子教授

――2013年に和食がユネスコの無形文化遺産に登録されました。どのような点が評価されたのでしょうか。

東四柳 一般社団法人和食文化国民会議の定義の一部によると、「和食は、地域の新鮮で多彩な食材を大切にし、四季おりおりの自然の恵みに対する感謝の心とこれを大切にする精神に支えられ、地域や家族をつなぐ日本人の生活文化です(和食の心とかたち)」との記述があります。つまりユネスコの無形文化遺産に登録された和食とは、単体のお料理ではないのです。
またおめでたい時に鯛を食べる、まめに(健康に)1年を過ごすことができるよう、おせち料理には黒豆を添えるというように、食材の意味を一緒に味わう楽しみも、和食の特色です。

――和食の文化を守っていくために私たちがなすべきことはありますか。

まずは地域の食材ときちんと向き合い、旬を大切にする気持ちを日々大切にしたいですね。残念ながら、このコロナ禍の影響で、遠出や外食が難しい時代となりました。自宅で食事を楽しむ時間が増えてはいるのですが、ぜひこのタイミングに、国産食材への関心を大切にしてほしいなと感じています。調理をする中で、その食材に興味がわけば、まずその生産地や生産者について調べてみる。食材の背景を知ることで、地域の人たちとのご縁も育ちます。生産者と消費者がつながり、お互いの顔が見えるようになると、その食材を大切にしたいという気持ちも自ずと生まれます。コロナが落ち着いたら、おいしい食材を提供してくれた生産者に会いに行く旅なんて、いいかもしれません。単に観光地を巡るのではなく、農家さんや漁師さんを訪ねてみる。新しい旅の形も生まれそうです。

四柳祥子教授

背中を押してくれたのは、料理番組のディレクターと英文学の恩師

――そもそも食文化の研究に入られたのはどういう経緯からですか。

東四柳 子どもの頃から、食べることが大好きでした。石川県出身ということもあり、新鮮な魚介類や良質なお米にも恵まれ、おいしいご飯を食べる時間を大切にする家庭で育ちました。
料理への目覚めは、高校時代でした。たまたま遊びに行った友人宅で、『レタスクラブ』と初めて出会い、さまざまな食の情報にあふれた料理雑誌に「はまってしまった瞬間」を今も覚えています。帰宅後に、改めて母の書棚を眺めてみたら、料理雑誌がたくさんあることに気づき、それを読みながら漠然と食の本を作る仕事に就きたいと思うようになりました。
ところが、大学は英文科に進みまして、「料理を学ぶ進路を選ぶべきだったかも・・・」と悶々と悩む大学生活を過ごしていたのですが、1年生の夏に偶然にも『レタスクラブ』でのアルバイトの機会を得たのです。もちろん、仕事中はいつも制作に携わる編集スタッフさんの姿を目で追っていました(笑)。やはり料理の本づくりにかかわる方々は、当時の私の憧れでしたから。
その後、ご縁があってテレビの料理番組の制作にもアルバイトとして携わるようになり、食の現場にますますのめりこんでいきました。
3年生の秋だったと思います。食にかかわる仕事に就きたい旨を番組ディレクターに相談したことがありました。その時のアドバイスが、「料理研究家のアシスタントをする仕事ではなく、本物のプロになりたいのなら、きちんと勉強しないとね」という一言でした。これがきっかけで、自分流のかかわり方について、一から考えるようになったのです。

明治期から昭和初期にかけての料理書と菓子製法書
明治期から昭和初期にかけての料理書と菓子製法書  東四柳祥子教授所蔵

東四柳 その頃の私は、食文化の分野において、江原絢子先生のご研究がずっと気になっていて、先生が選ばれる論考のテーマや文章表現がとても好きでした。ある日、思い切って江原先生が教鞭をとられている大学の雰囲気を見に行くことにしたのです。ご縁とは不思議なもので、大学院の書類をもらうだけのつもりが、その日に偶然お会いすることができ、それ以来、江原先生とのお付き合いが始まりました。今では一緒に書籍を出版したり、先生と同じ研究会にも参加させていただいたりしております。何より自分が思い悩んだ時に、誰よりも先にアドバイスを求めてしまう先生であることは、昔も今も変わりません(笑)。
そしてもう1人、大学時代のゼミの担当教官であった英文学者の小池滋先生にも、背中を押していただきました。卒業論文の指導を受けていた時、これから食文化研究のジャンルへ進むべきか悩んでいる旨を相談したところ、「ヴィクトリア時代の女性たちに支持された『ビートン夫人の料理書』という大ベストセラーがあるから、ぜひ読んでみなさい。いずれ日英の料理書文化の比較をしてもおもしろいかもしれないね」とアドバイスをしていただけたことが、前に進む決定打になりました。ビートン夫人が手がけた書籍は、実は現在もイギリスの書店で再版されており、今なお時代を超えて愛され続けています。

再現料理は過去との対話

――日露戦争の頃のロシア人捕虜が食べていた料理を再現されたそうですね。

東四柳 石川県立歴史博物館からお声がけいただいて、ロシア人捕虜に出した日露戦争期の料理献立の再現に、ゼミの学生たちとチャレンジしたのです。現在、博物館にはその時に再現した料理のレプリカが展示してあります。学生たちとは、明治・大正期の料理書をくまなく調査し、ビーフシチューやパン、ハムエッグなどを再現しました。ビーフシチューは、今のようなデミグラスソースは使用せず、小麦粉をバターで炒めるだけのブラウンソースがベース。トマトソースも赤ワインも入れませんので、あっさりした牛肉のスープという感じでしたね。学生は味見をしながら、「先生、ここに醤油と砂糖を入れたいですね」と言っていました(笑)。

ロシア軍捕虜の食事 (レプリカ
ロシア軍捕虜の食事 (レプリカ)
石川県立歴史博物館 所蔵

東四柳 学生たちと会話しながら、ビーフシチューから肉じゃがが誕生したという一説も、これだと理解できるなと少し思ってしまいました。明治の人たちもそんな会話を交わし、試行錯誤していたのではと思います。皆で大鍋をのぞいていると、当時の料理人たちと会話をしているような不思議な雰囲気になり、私たちもまた現代版のアレンジに関する話題で盛り上がりました。再現料理はまさに時空を超えた食談義を楽しむ時間を提供してくれるように思います。

――最近は、レシピをインターネット上に上げたり、それを読んで利用したりする人が増えていますが、これについてはどうお考えですか。

東四柳 ネット上のレシピは、作り方の動画が付いていたりして、説明も丁寧です。何よりネットを検索すれば、いつでもどこでも閲覧でき、書物と違って、手っ取り早く情報が入手できる。それでいて、ほとんどが無料です(笑)。また料理書は、著者の料理の完成形は見えても、そのレシピ提案に至るまでのプロセスや読者の反応が見えません。対してネットは、書き込みの投稿で、そのレシピに対する声が可視化され、またその投稿のやりとりを通して、遠くの人との会話を楽しむこともできます。
レシピの共有という意味では、これからますますネットの需要は高まりを見せていくと思います。今は、「時短」や「手軽さ」が人気のキーワードのようですが、どんな料理ブロガーのレシピが評価されているかという分析は、その時代のニーズをひもとくヒントになりそうです。料理書の出版では見えなかった読者の声が残るので、時代時代に求められた情報を探るのに、意義ある未来の研究対象といえるのではないでしょうか。

ただ作り手側もまねをするだけでなく、自分なりの一工夫を忘れないでいてほしいという願いがあります。公開されたレシピをそのままではなく、それをベースに、自分好みの調味料でアレンジを加えてみる、こだわりの地域の食材を使ってみるなどのひと手間でも充分だと思います。ネットの味ではなく、思い出の味として、家族や仲間たちと共有することも、令和の課題であってほしい。料理には、やはりエピソードが大切です。ただおいしいだけでなく、その料理を食べた時に、過去の記憶がよみがえる、その時一緒に食卓を囲んだ人を思い出す、そんな風に料理と向き合っていければ、素敵だなと思います。ほんのひと手間で、世界に1つしかない自分のオリジナル料理が生まれるのですから。自分のレパートリーを広げるために、多くのネット情報と賢く向き合っていきたいですね。

東四柳祥子教授

遠食×円食=縁食

――今後どんな想いで食文化研究を進めていかれますか。また、夢をお聞かせください。

東四柳 私たちの食文化は、常に新たな異文化との出会いの中で、試行錯誤を繰り返してきました。調査を重ねれば重ねるほど、学校の教科書には登場しない多くの食の偉人たちの努力によって、今の私たちの食生活が成り立っていることに改めて気づかされます。

コロナ禍の今、私自身も大阪から遠い石川県の実家には、お正月以降帰ることができていません。自由に家族に会えないことが、こんなにも寂しいことなのかと改めて実感しています。しかし、このことがきっかけで、父とは頻繁にメールを送り合い、母とは長電話をするようになりました。関係の深さという点で考えると、希薄になるどころか、以前より話題の密度は濃くなったようにも思います。
最近自分の中に「えんしょく」というキーワードがあるのですが、令和はまさに「遠食」の時代となってしまいました。私はITに疎いほうなのでほとんどしませんが、リモート食事会やリモート飲み会といったスタイルも新たな楽しみとして定着しています。ネット時代ゆえの楽しみ方ではありますが、ただの「遠食」で終わらず、たとえ遠く離れていても、つながりが深まる「縁食」に育ってほしいとの想いも抱くようになりました。
ちょっと視点は変わるのですが、私は昔から「まるい(円い)」という言葉が大好きで、その言葉を聞くと、なぜか穏やかな気持ちになれます。雑味のないまろやかなお料理にも「まるい味」と表現することがあります。実際、「円満」や「円滑」など「円」という漢字が使われた言葉には、優しさが感じられます。また「円」を「円やか」と綴れば、「まどやか」となり、和やかな食卓の風情も醸しだせます。
今、世界中が目に見えないコロナの脅威と対峙(たいじ)しています。そうしたタイミングだからこそ、優しい気持ちになれる「円やか」な食事の時間の共有が必要なのではないでしょうか。この時間を「円食」と名付けて、「遠食」×「円食」=「縁食」という形の食文化が広がれば、新たな「令和食」に大いに意義があると思います。まさにこの「円食」のあり方を、日本人の思考の系譜をたどりながら追求することを、私の次なる挑戦にしたいと考えています。

東四柳祥子教授

TEXT:栗原 進、Photo:行友重治

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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