Mugendai(無限大)

「人間に信頼されるAI」とは――AIと人間が共創する未来のために

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システム情報科学に特化した先鋭的な単科大学「公立はこだて未来大学」。北海道の函館市に位置する大学内には、道内大学初の人工知能研究拠点として開設された「未来AI研究センター」がある。現在、同センターの特任教授を務めるのが、日本における人工知能研究の黎明期から、先駆者的存在として研究の最前線を歩んできた松原仁博士だ。

「未来AI研究センター」では、地方の地場産業におけるAI活用の研究も盛んに行われ、大学発のベンチャー企業も創出している。観光業、公共交通サービス、酒造り等々。多領域で活かされるAIの研究開発を進めながらも、松原博士が大切にしてきたのは、地元の人々との信頼関係だ。近い将来、人と人との絆と同様に、人とAIとの関係性にも変化が必要になるのではないか。人間とAIとのポジティブな関係性を探る松原氏にお話を伺った。

松原仁
松原仁
(まつばら・ひとし)

公立はこだて未来大学未来AI研究センター特任教授・東京大学次世代知能科学研究センター教授
1959年、東京生まれ。東京大学理学部情報科学科卒業、同大学院工学系研究科博士課程修了。通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(現産業技術総合研究所)を経て、2000年より公立はこだて未来大学教授。人工知能、ゲーム情報学を専門とし、2014-2016年には第十五代人工知能学会会長を務める。

人工知能研究、約60年の歩み

――ご著書では、AI研究者を目指されたのは『鉄腕アトム』のアニメーションがきっかけだと書かれています。なぜ、人工知能を作りたいと思われたのでしょう?

松原 アトムのテレビ放送が始まったのは1963年です。私はまだ幼稚園児でしたが、子ども心に憧れたのは、アトムの生みの親、天馬博士でした。お茶の水博士がアトムの良き理解者だとすると、天馬博士はどちらかというと悪役。それでも、アトムという“ロボットを作った人”として脳裏に焼き付きました。父親に「ロボットを作る仕事をする人はエンジニアっていうんだよ」と教えられ、小学校の卒業文集には「エンジニアになりたい」と将来の夢を記したくらいです。

中学生になって少しませていたのか、哲学者のフロイトの著書に夢中になりました。『精神分析入門』や『夢判断』など、当時どれくらい理解できていたのかあやしいものですが、人間の心を探求する作業は面白いな、と興味を覚えました。工学を通して、「人間の知能とは何なのか」を研究してみたい。今振り返ると、結果的にアトムとフロイトが結びついて、AI研究者への道を選んだような気がします。ただし、当時はAIという分野は学問として世の中にほとんど認知されていませんでした。日本の学術機関にはAIを本格的に学べる環境そのものが存在していなかったんです。黎明期以前の時代でしたから、その後、東京大学工学部の大学院に籍を置くことになった私は、仲間と勉強会を開きつつ、独学で学ぶしかありませんでした。

松原仁博士

――『無限大』誌上(1999年)で、ロボットについての対談をされた哲学者の黒崎政男先生とは、大学院時代の研究者仲間だったと伺いました。

松原 「知能とは何か」「意識とは何か」「コンピューターは原理的に心を持てるのか」などをテーマに、欧米のAI研究の最先端論文を読みあったり、AIに関する洋書を手分けして翻訳したりしていました。最盛期には約100名が参加する大所帯になり、後日、多くの有能なAI研究者を輩出したことから、AI研究における「トキワ荘*」のような集まりがあったのですが、黒崎先生とはこの「トキワ荘」のメンバーと若手哲学者が定期的に集まっていた会で知り合いになりました。

『無限大』(1999年)の誌面
松原氏と黒崎氏の対談が掲載された『無限大』(1999年)の誌面

AI研究というのは実はまだ歴史が浅くて、たかだか60数年しか経っていません。その間、ブームに沸く時期と、研究が停滞する冬の時代を何度か繰り返します。私が黒崎先生と対談した99年は、ちょうど2度目の停滞時期から抜け出そうとする頃でした。1997年には、IBMのスーパーコンピューター「ディープ・ブルー」が、チェスの世界チャンピオンに勝利。私自身も1999年頃に「ゲーム情報学」という新領域を提唱し、将棋、囲碁、サッカーなどを題材に研究に拍車をかけます。

その後、2006年頃にディープラーニング(深層学習)という画期的な機械学習手法が開発されたことで、AI研究は3度目の過熱期に突入します。とはいうものの、実は、世間の皆さんが考えている以上に、AI研究はまだまだ発展途上です。AI研究の進捗状況を富士山の高さにたとえるとしましょう。黒崎先生との対談当時はまだ1合目あたりだったように思われます。約20年が経過した2020年現在で、ようやく3合目あたりです。世間で騒がれているシンギュラリティには、そう簡単にはたどり着けないーーそれが私の見立てです。逆に言えば、人間の知能はそれだけ偉大かつ複雑なわけです。だから、AI研究が着実に一歩ずつ進展し、3合目まで達していることもおおいに評価すべきことなんです。

*手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら著名な漫画家が居住していた「聖地」的木造アバート

地方の現場でこそ活きるAI活用法

――2000年には、研究の拠点を北海道・函館市に移され、はこだて未来大学の「未来AI研究センター」で研究を深めていらっしゃいます。

松原 私は大学時代から、将棋を皮切りにゲームを研究対象にしてきました。日本におけるAI研究の夜明けにおいては、身近な題材、一般の方も興味を持ちやすい題材として最適だと考えていたからです。しかし、社会に直接役立つ汎用性という意味では、特殊な領域であることは否めません。情報技術は社会インフラで活用されてこそ意義がある。以前から私は、AI研究と社会との距離が遠いことに危惧を抱いていました。地方には、農業、漁業などの第一次産業を生み出す「現場」がたくさんあります。より社会生活に根差したAIを開発するためには、研究者自身が現場を知る必要性があると考え、函館に移りました。

また、函館は北海道の中でも有数の観光都市です。観光業は、それまであまりデータ分析という視点を取り入れておらず、開拓の余地があると思われました。コロナ禍以前は、インバウンド客のデータも豊富に収集できました。滞在時間や消費動向、また人気のスポット、効率的な交通手段などを調べて、インバウンド向けの最適観光ルートを作成するなど、情報技術を用いて函館を含む北海道の観光を魅力的なものにする研究に着手したのです。

松原仁博士

――一方で、2016年には、はこだて未来大学発のベンチャー企業「未来シェア」も立ち上げられました。SAVS(Smart Access Vehicle Service)というサービスを開発され、都市レベルでの最適交通の実現を目指されています。

松原 函館に移って実感したのは、観光都市という華やかな一面とは違った、地方都市における交通の不便さです。じつは大都市を除いて、日本の公共交通網は衰退の一途を辿っています。地方都市では多くの人が車で移動します。おのずと公共交通は使われなくなり、運行本数も減り、負のスパイラルに陥ってしまう。とはいえ、高齢化も進んでいますから、運転をしなくなった高齢者向けの移動手段は確保しておかなければなりません。そのような現状を目の当たりにして、研究者仲間と立ち上げたのがAIを活用した公共交通サービス「SAVS」です。リアルタイムに個人のスマートデバイスと車両の運行状況を結び、人・物の移動状況に応じて「便乗」配車を提供します。いわばタクシー(デマンド交通)と路線バス(乗合交通)の長所を掛け合わせたような交通サービスで、「バスより便利、タクシーより安い」をモットーにしています。

公共交通サービス「SAVS」
AIによるリアルタイムな便乗配車計算を行うサービス「SAVS」

――物も運べる乗り合いタクシーや、時刻表・地図のないバスが、乗客のリアルタイムな要請に応えるようなイメージでしょうか。地方での需要は特に高そうですね。

過疎地の自治体からのお問い合わせも多く、すでに全国6か所の自治体、民間企業で実運用されています。特にコロナ禍の最中、今年の4月から運行が開始された岩手県・紫波町のケースからは、地方都市の抱える喫緊の交通課題が顕著に見て取れます。本来であればソーシャル・ディスタンスの観点から、この時期の乗合い交通手段の採用はなるべく避けるべきです。それでも自治体が運行に踏み切ったのは、3月いっぱいで住民の足として機能していた定時・定路線バス会社が撤退、代替となる公共交通の構築に迫られていたからです。

紫波町で運行が始まった「デマンド型乗合バス」は、時刻表も運行ルートも定めず利用者の要望に応じて運行しており、乗合いの利用者のマッチングにAIを活用しています。また、移動需要データや配車記録のデータなどから交通計画検討のための材料を提供することも可能です。このように交通インフラにおけるAI活用は、今後もあらゆる局面で有効な手段になりえます。地方のみならず、現在は、大都市の私鉄と組んで、ラストワンマイル*におけるSAVSの活用も検討中です。

*この場合のラストワンマイルは郊外の住宅地における最寄りのバス停から自宅までの近距離を示す

――その他にも、地方という「現場」において、どのようなAI活用を見込まれているのでしょうか?

松原 函館は漁場にも恵まれています。漁獲を予測するディープラーニングを用いたシステムを開発し、現場の漁師さんの声を反映させながら、改良を続けています。また最新の取り組みとしては、酒造りです。北海道には各地に美味しい地酒があるのですが、函館を含む道南エリアでは長い間、本格的な日本酒造りが行われていませんでした。幸いにも今年8月、地元有志が設立した新酒蔵「箱館醸造」(七飯町)が誕生したことを機に、「はこだて未来大学」が日本酒づくりの生産ノウハウを提供することになりました。

軸となるのは、高品質な酒を安定供給するためのデータ分析です。酒造りは本来、非常に手間がかかる人間の手仕事による現場です。肝となる部分は人間が担う必要があると思いますが、機械が助けられる工程もあるかもしれない。たとえば、現在の酒造りにおいて、求める品質にするための温度や湿度の管理はすべて杜氏の勘に委ねられています。それは尊い職人技ですが、杜氏が代わったり、体調を崩す場合もありますよね。そこで、温度や湿度と仕上がったお酒の関係性のデータを分析すれば、杜氏の代わりにAIを活用してコントロールできる工程もあるのではないかと研究を進めています。もちろん、「AIを導入すること」自体が目的ではないですから、それによって酒造りの費用を抑えたり、仕上げるお酒の量を増やすことができれば、ビジネスとしての酒造りに少しでも貢献できるのではないかと考えています。

人間とAIが信頼関係を築くために

――多領域におけるAI活用の可能性を次々と具現化されています。松原先生はもともと、地方の活性化も念頭に置いて函館に移られたのでしょうか?

松原 いや、それはあくまで結果論だと思います。研究者は、研究に着手する折には、何の役に立つのか、成果が出るのかはその時点ではよくわからないことが多いんです。なんとか成果が出始めているのは、この20年間、コツコツと地道に現場の方々とコミュニケーションを取る中で信頼関係を築いてきた賜物だと感じています。当たり前ですけど、AI研究においても大切なのは、やはり人間関係なんですね。

いま、我々研究者の間でも「信頼されるAI」というのが、ひとつのキーワードになっています。AIの導き出す答えがいかに論理的かつ画期的であったとしても、人間側は瞬時にそれを理解できないし、信用できないんです。奇妙な表現かもしれませんが、AIは人間でいう「天才」に近い(笑)。だから、天才が考えた答えを解説、通訳するような翻訳者も必要なのです。我々研究者は、その役どころも担っています。酒造りで言えば、杜氏さんにどう説明すればAIの判断を信用し採用してもらえるのかに心を砕きます。相手が理解しやすいよう、時にはわかりやすくたとえ話も用いたりしながら、説得を重ねていくことが大切なんです。

いま、量子コンピューティングという圧倒的な計算能力を持つ存在も出てきて、その能力を使えば、多くのAI研究者が追い求めているAIによる「直感」も実現できる可能性もあるかもしれません。ただ、導き出された答えの説明という点で考えると、量子コンピューティングはディープラーニングよりはるかに難しいのです。ディープラーニングは、数は膨大になりますが数値や情報を綿密に分析すれば判断の理由を追うことができる。しかし、量子コンピューティングが用いる量子効果という現象は、原理的に追えないため、回答の根拠を探ることは極めて困難です。逆に言えば、だからこそ研究者によるわかりやすい説明が必要だとも言えるでしょう。

松原仁博士
ビデオ通話にてインタビューを実施

――最後にAIと人間による未来社会の理想的なありかたについてお聞かせください。

松原 AIが採用されていない現場においては、信頼を得るまでにまだ幾分時間がかかるかもしれませんが、日常生活では、すでに私たちはAIのある暮らしを享受しています。いまやスマートフォンや検索エンジンは、多くの人にとってなくてはならない生活ツールです。電車の乗り換え案内アプリやグルメ予約サイト、ショッピングサイトなどは、日々、個々に有用な情報を提供してくれます。最終的には自分で決めているつもりでも、多くの人がAIに意思決定をある程度は任せている――つまり、予め絞られた選択肢の中から判断している状況が多くなってきているわけですが、それほど憂慮する必要はないと思っています。私たちが活用するシステムに、作り手の悪意や意思が反映されているとしたら、知らぬ間に使い手の人間が操作されてしまうのではないかとネガティブに考えてしまう声があるのもわかります。でも、自分で決めているようで誰かに操縦されているというような状況はたとえば夫婦関係でもありえる(笑)。人間社会でも昔から往々にして同じようなことはあるわけです。

これからはなお一層、人間とAIとの距離は縮まり、好むと好まざるにかかわらず、一体化が進むでしょう。ウェアラブルデバイスはますます進化を遂げるでしょうし、ゆくゆくは自分の一生に寄り添い続けてくれる執事のようなパーソナルロボットも誕生するかもしれません。そんな社会を、どう我々が受け入れていくかが問われます。そこで鍵となるのが、AIと人間との信頼関係です。私たちが人間に対して信頼感を抱くのは、大前提として、「人間には心がある」と考えるからです。しかしそもそも、心や感情とはどこからきた概念でしょうか。私は、不安だからこそ生まれたものだと考えています。太古の昔、敵か味方かも話が通じるかもわからない、そんな相手にも「心」という自分と同じものがあり、心が通じ合う、そういう安心感を得たいから、人間が身につけた概念ではないかと思うのです。科学的な証明の方法はないですが、そう考えてみるとわかりやすい。

ではAIに対してはどうでしょう? AIにも心が宿ると考えることができるでしょうか。これもまた、人間次第だと思います。AIはある意味、人の心を映し出す鏡になり得る。私はよく、「なぜそんなにロボットを信頼できるのか」と言われることがありますが、突き詰めれば人間というものに対して楽観的なんだと思います(笑)。人間がAIに対して懐疑的であれば、AIは人間にとって懐疑的な存在にならざるを得ないんです。人と人とが信頼関係を築く場合も、同様の落とし穴がありますが、まったくその部分では似ているような気がしてなりません。今はまだ発展途上とはいえ、これからAIはさらに進化します。だとすれば、私たちは、「AIにも心が宿る」と考えた方が、AIとやりとりしやすくなるのではないでしょうか。ひとりのAI研究者としては、そんな「人間に信頼されるAI」が生まれることを期待してやみません。

TEXT:岸上雅由子、画像提供:松原仁

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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