IBM Research
ガジェットをより持続可能なものにする材料の発見をIBMが推進
2021年2月18日
カテゴリー IBM Research
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ここにも、あそこにも。原子はあらゆるところに存在します。
原子が多いほど分子は複雑になり、実現可能な分子構成はほぼ無限大に見えます。つまり、材料発見には長い時間と費用、手間のかかる試行錯誤のプロセスが必要で、しかも成功は保証されていません。
しかし、そうであって良いはずはありません。
人工知能が従来の分子設計を大幅に革新し、量子コンピューティングの活用が間近になりつつある今、私たちは「発見の加速化 – Accelerated Discovery」の時代を迎えようとしています。それは、気候変動から廃棄物の削減、食料とエネルギーの安全保障に至るまで、無数の地球規模の課題に取り組むのに役立つ持続可能な製品の製造に不可欠な、新しい先端材料を迅速に発見する時代です。
まだ初期の段階ですが、IBMの研究員は、新しいAIが後押しするアプローチをすでに実践し、より持続可能な材料を設計しようとしています。あるチームは最近、光酸発生剤(PAG)と呼ばれる新しい分子を生み出しました。この新しい分子は、さらに改良することで、より環境に優しいコンピューティング・デバイスの製造に寄与する可能性があります。
PAGは1980年代から存在しており、コンピューター・チップの製造において重要な役割を果たしています。リソグラフィーと呼ばれるプロセスでは、紫外線が感光性材料の層であるフォトレジストに3次元の立体的なパターンを形成します。光はフォトレジスト内のPAGを分解して、非常に強い酸を生成します。これらの酸は、触媒反応によりレジストを分解し、空間的なパターンを作成します。そのパターンが、トランジスター・ゲートや相互接続ワイヤーなどのコンピューター・チップの物理構造を定義します。
低速度、高コスト、高リスク
フォトレジストとリソグラフィーの改善は、チップ開発の過去20年間で重要な役割を果たしました。小型化し続けるチップにより多くのトランジスターを搭載できるようになり、これまで以上にスリムで強力なガジェット的なデバイスが実現しました。
しかし、問題があります。
PAGは、最近、地球環境規制当局から厳しく監視されている化合物の1つです。研究者たちは、より持続可能なもの、つまり「グリーン」で持続可能なコンピューティングの未来を実現するために競ってきました。残念ながら、新しい材料を発見する従来のプロセスは、この課題にタイムリーかつ実用的な方法で対処するには、遅すぎて、コストがかかりすぎて、リスクが高すぎるのです。
「従来、研究者は、独自の知識と公開された文献で見つけた情報を使用して、望ましい特性を持つように期待を込めてPAGを設計しています。その初期設計に基づいて、研究者たちは満足のいくものを作成することができるまで、候補材料の合成、特性評価、およびテストの多くのサイクルをたどります。高度なシミュレーションを実行するためにコンピューターの助けを借りても、通常は数か月、場合によっては数年かかります」とアルマデン研究所(Almaden Lab)を拠点とするIBMの研究員であり電子材料の専門家であるダン・サンダース(Dan Sanders)は述べています。
そこでサンダースのチームは、AIの助けを借りて別のアプローチを選択しました。
材料科学におけるAIの使用は新しいものではありません。しかし、ほんの5年前でさえ、AIは、ほとんどの場合、材料の特性を予測する程度にしか使われていませんでした。たとえば、研究者がある分子構造を入力した場合、AIは、たとえばその融点が摂氏100度であることを正しく予測します。しかし、「化学者は、AIを適用して、人間の創造性を超えた多種多様な分子構造を迅速に設計することにはるかに興味を持っていました」とIBM東京基礎研究所の研究員である武田征士(Seiji Takeda)は述べています。
「考えてみてください。今日、10億通りの異なる分子構成を持つ材料が既に知られていますが、原子の組み合わせによって理論的に存在し得る未知の分子の種類は、少なくとも1060倍以上あると言われています。そして、有用な性質をもつ材料はそのほんの一部にすぎません。サハラ砂漠でなくした小さなダイヤモンドを見つけるようなものです」と武田は付け加えます。
AIを活用した「発見の加速化 – Accelerated Discovery」アプローチに参入してください。これは、高度なコンピューティング・テクノロジーを組み合わせて、世界中の研究者がクラウドを通じて分子の発見を行えるようにするものです。最近IBM Researchで開発されたこの製品は、既知の材料の特性を予測するだけでなく、目的の特性を備えた新しい材料を迅速に設計することを目的としています。
発見の加速化 – Accelerated Discovery:全速力で前進
新しいPAGを作成するために、サンダースと研究員のディミトリー・ズバレフ(Dmitry Zubarev)が率いるアルマデン・チームは、まずフォトレジスト材料と環境健全性および安全性の専門家と協業しました。細心の注意を払って、意図したPAGに必要なすべての性能と持続可能性の特性を決定しました。この決定が完了すると、AI、最先端のコンピューター・シミュレーション、ハイブリッドクラウドを介した高度な自動化テクノロジーを使用して、可能なPAGを設計および合成しましたが、このプロセスはこれまでよりもはるかに高速でした。
「分子に持たせたい特性の概要が決まったら、私たちは特許、学術論文、プレプリント、科学書、その他の文献に隠された、光酸発生剤に関するすべてのデータの収集を開始しました」とサンダースは述べています。それは誰にとっても骨の折れる仕事です。そこで、研究員たちは、IBMチューリッヒ研究所のピーター・シュタール(Peter Staar)のチームによって開発されたIBMのDeep Search AIを使用して、PAGの既知の科学的知識をまとめて調査しました。彼らは6,000の文書と特許をAIに取り込み、220万のノードと3,800万の既知の材料のエッジを持つナレッジ・グラフを作成しました。
しかし、彼らは、関心のあるほとんどの化合物の重要な特性データが、利用可能な文献にはほぼ完全に存在しないことを発見しました。「それは私たちの知識に明らかに欠けていた情報でした」とサンダースは述べています。この問題を解決するために、研究員たちはいわゆるインテリジェント・シミュレーションに目を向けました。これは、イギリスにあるIBM研究所のエドワード・パイザーナップ(Edward Pyzer-Knapp)のチームが率いるAIを活用したシミュレーションです。そのアイデアとは、AIモデルの作成とトレーニングに必要な光学的および環境的特性を備えた構造データセットを拡張することでした。
また、それとは別のAIモデル−−特定の化学的特性を持つ新しい分子の構造を設計することができる「生成」AIモデルの出番です。「生成モデルは、データセットによってトレーニングされた後、元のデータに類似しつつも新しいオブジェクトを自動的にデザインまたは生成するAIテクノロジーです。たとえば、たくさんの猫の画像を使用してモデルをトレーニングし、AIに白くてふわふわした猫の新しい画像を生成するように要求すると、モデルはそれを実行します。白くてふわふわの猫の画像がたくさん生成されますが、何一つ同じものはないのです」と武田は述べています。
猫の写真にそれほど興味があるわけではないので、武田とそのチームは代わりに分子の生成モデルを開発しました。まず、既存のPAG構造と特性データを使用してトレーニングし、次に、高い感光性を維持しながら、環境リスクの低い特性を備えた新しいPAG構造を設計するようにシステムに要求しました。AIは「わずか5時間で約2,000の新しいPAG候補を生成しました」と武田は述べています。
一つ一つを評価するには2,000の候補は多すぎます。そのため、研究員たちは、実際の人間の専門家の知識を統合するIBMのExpert-in-the-Loopテクノロジーを使用して、AI生成モデルの出力のうち、最も有望で実用的な候補に優先順位をつけました。
タスクが完了すると、生成されたPAG候補は、自動化ラボ・テクノロジーを構築していたIBMのチューリッヒ研究所のテオドロ・ライノ(Teodoro Laino)が率いるチームに向かいました。現在、PAGを合成する最適な化学合成ルートを決定し、最終的に自動ロボット化学反応システムで合成するという残りの2つの課題を解決する必要があります。ライノのチームは、有機分子を作成する最良の方法を迅速に特定するAIベースの逆合成ツールを採用しました。そしてついに、クラウドベースの自動化学ロボット合成システムであるRoboRXNを使用してPAGを作成したのです。
「明らかに、私たちの「発見の加速化- Accelerated Discovery」のアプローチは、新しいPAGの開発を大幅にスピードアップしました。もちろん、私たちはまだ非常に初期の段階にあります。しかし、将来的には、このアプローチを使用して、多くの持続可能性の課題に対処するのに役立つ新しい材料をはるかに迅速に発見できるようになると確信しています」とサンダースは述べています。
新しいPAG分子は、「発見の加速化- Accelerated Discovery」メソッドの初期の成功というだけではありません。武田のチームはまた、生成モデルを使用して、炭素吸着技術で現在使用されている膜よりも二酸化炭素を吸収する新しい高分子膜を設計しました。また、IBMのお客様である長瀬産業との協業で、特定の融解温度を持つ新しいタイプの糖構造を設計しました(論文はこちら)。
将来的に、武田はチームのAIの機能を、無機材料を含む幅広い材料領域に拡大することを目指しています。これは、たとえば、より持続可能なバッテリーを作成するのに役立つ可能性があります。バッテリーは損傷した時に有毒ガスを放出する可能性があり、その主成分(通常はリチウムとコバルト)の滲出は、水質汚染や枯渇などの環境への影響につながる可能性があります。
「可能性は無限大です。この生成モデルを使用して、新たな高分子、新薬、新しい発光材料、食品成分、超低コストの生分解性プラスチック・ボトル、柔軟な、または『塗装ですら可能』な有機太陽電池を作ることもできるでしょう」
「しかし、最も重要な点は、Deep Search、AI強化型シミュレーション、AI生成モデル、自動ロボット・ラボが、もちろん人間の専門家との協力のもとに、材料設計を大幅に加速し、持続可能な社会に近づくのに役立つことを示したということです」と武田は述べています。
IBM Research Editorial Lead
※この記事は米国時間2021年2月8日に掲載したブログ(英語)の抄訳です。
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