IBM Research
IBM Qが目指す「量子コンピューターがある近未来」
2017年12月21日
カテゴリー IBM Research | 量子コンピューター
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最先端の量子コンピュータ「IBM Q システム」が、従来のコンピューターの限界を超えた計算能力で新たな時代を切り拓く
IBMは2017年5月に最先端の量子コンピューター「IBM Q システム」を公開すると同時に、商用向けの量子コンピューターのプロトタイプを構築すべく新たなロードマップを策定しました。2017年12月時点でハードにおいてはIBM Q システムが一般公開されている量子コンピューターの中でもっとも性能の高いもので、ソフトにおいても実機の量子コンピューターでシミュレートできる最大の分子の最高記録を保持しています。IBM Qの誕生によって長らく理論の領域にとどまっていた量子コンピューターはいよいよ現実化しつつあり、今まで計算できなかったさまざまな問題に新たな突破口を与え、私たちの未来を大きく変えようとしています。
本稿では量子コンピューターの原理を紹介し、IBM Q* が目指している近未来における応用について述べます。
万能量子コンピューターの実現に向けて
IBMは量子コンピューターの基礎理論だけでなく、早い段階から万能量子コンピューターの実現に向けた研究開発を行ってきました。量子ゲートを組合せて汎用的な計算を行う量子コンピューターは万能量子コンピューターと呼ばれます。
2001年には核磁気共鳴器(NMR)を量子コンピューターに応用し、Shorのアルゴリズムで小規模な素因数分解が実行できることを世界で初めて示しました*1。後にNMR型の量子ビットの大規模化が困難であることが知られ、超電導に基づく量子コンピューターの研究開発が始まりました。その成果が2016年6月に発表した5量子ビットの量子コンピューターと、2017年5月に発表し一般公開した16量子ビットの量子コンピューターです。 この16量子ビットの量子コンピューターは2017年7月現在では万能量子コンピューターの中で最先端のものですが、さらにそれを上回る量子コンピューターの開発が進められています。
一般公開された量子コンピューターは「IBM Q Experience」という名称でクラウドを通じて誰もが簡単に利用できます。現在の超電導に基づく量子コンピューターにはプロセッサーを絶対零度近くまで冷やす特殊な冷却装置が必要で、一般のオフィスやデータセンターに設置することが容易ではありません。そのため、クラウド経由で量子コンピューターにアクセスする方法が今後の量子コンピューターの主要な運用モデルになる可能性が高いと考えられています。IBM以外の大学や研究機関やIT企業も同様の運用モデルで量子コンピューターの研究開発を活発化させ、超電導の他に、イオントラップ、光学デバイス、準粒子などさまざまなデバイス方式で万能量子コンピューターの実現を追求しています。
素因数分解などを従来のコンピューターよりも高速に解くには、エラー耐性を備えた万能量子コンピューターが必要です(下記、図1の右)。長期的にはそれを実現するために高度な量子誤り訂正の研究が行われている一方で、短期的には性能が限定的ながらも量子コンピューターの実装とその応用の研究が行われています。近年注目されているのはエラー耐性が限定的な万能量子コンピューターと量子アニーリングです(図1の左)。前者はIBMが取り組んでいる対象で、小規模ながら自由に量子ゲートを組合せてプログラムを書くことができ、創薬や新材料発見などの応用への期待も高まっています(図1の左下)。50量子ビット程度のこの種の量子コンピューターが実現できれば、現存するスーパーコンピューターでは効率的に計算できないレベルの問題が解けると考えられています。
一方で量子ビットの構造を特定の問題に特化したものはアナログ量子コンピューターと呼ばれます。量子ビットの構造を再構成することができないため、想定外の問題への応用は難しいものの、実現が比較的容易と見られています。焼きなまし法に特化した量子アニーリングはアナログ量子コンピューターをさらに特殊化したものです(図1の左上)。エラー訂正のメカニズムはなく前述した量子コンピューターより計算能力が限定的と考えられます。量子アニーリング系の量子アルゴリズムが従来のアルゴリズムよりも高速かどうかは、理論や実験の観点から議論が行われており、このタイプの量子コンピューターの性能に対して懐疑的な科学者もいます。
クラウドから利用できるIBM Q Experience
IBMはクラウドを通じてIBM Q Experienceという量子コンピューターのAPIを一般公開しており(登録方法はこちら)、ユーザーは「Composer」という独自のユーザー・インターフェース上で量子回路を設計し、シミュレーターと実際のデバイスで量子コンピューターを体験できます。図2はComposer上の2量子ビットのGrover探索の量子回路の例です。ユーザーは量子ゲートを配置して量子回路を設計することで量子アルゴリズムを実装することができます。解きたい問題の入力を表すビット列を回路の左から流し、1量子ビット、ないしは、2量子ビットを操作する量子ゲートを組合せて適用することで量子重ね合わせの状態を操作して、最後に観測して問題の解を表すビット列を得ることができます。従来の論理ゲートと量子ゲートはその効果が異なるものの、ゲートを配置して回路を設計するという方法は視覚的なので量子回路で量子アルゴリズムを試す敷居が低くなると期待されます。IBM Q Experienceで用意されている量子ゲートは任意の回路を設計するのに 充分な種類がそろっています。また、ユーザーが独自に新たな量子ゲートを定義することも可能で、よりコンパクトな回路を設計することもできます。
ゲート数が多く複雑な回路が必要とする大規模な量子アルゴリズムの実装には QISKit: Quantum Information Software KitというPythonベースのソフトウェア開発キット(SDK)が提供されていて、量子コンピューターと従来のコンピューターを組合せたハイブリッドな計算を実行するのに適しています。QISKitを用いる量子化学や組合せ最適化などの代表的な量子アルゴリズムの実装例も公開されています。専門家の科学実験の用途でクラウドを通じてIBM Q は既に35本以上の論文に利用されており、一般ユーザーからも音楽作成や海戦ゲームなど一風変わった応用が報告されています。2017年11月時点では140カ国以上から6万人以上のユーザーと合計170万回以上の実験の実績があり、日本のユーザー数は国別でトップ 5に入っています。また、QuTiPのようなオープンソースの量子系シミュレーション・ソフトで量子アルゴリズムを実装できますが、実際の量子コンピューターを操作 できるのはIBM Q ExperienceとQISKitが世界初です。
IBM Qが切り拓く量子コンピューターの可能性
現在実現されている量子コンピューターの規模はまだ大きくないものの、量子化学におけるシミュレーション、とりわけ、分子構造や化学反応の分析等に大いに役立つと考えられています。例えば、材料の研究に従来のコンピューターと量子コンピューターのハイブリッドな手法が有用であることが報告され*2、材料合成や創薬や金融などの応用に同様な手法が応用されることが期待されています。
今後研究が進みエラー耐性を備えた大規模な量子コンピューターが実現されたとしても、従来のコンピューターの機能の全てが置き換えられることはないでしょう。人工知能の分野で深層学習の高速化にGPUやFPGAなどの専用のプロセッサーが利用されているように、量子コンピューターも従来のコンピューターが苦手としている計算の一部を担っていくことになるでしょう。
IBMでは高い精度で物質の性質を調べる目的で量子化学のシミュレーションに小規模な量子回路を活用する研究が進められており*3、分子構造の分析において成果が出始めています*4。また、同様な手法で従来の最適化問題にも適用でき、分子構造の分析とともにそのチュートリアルは QISKit: Quantum Information Software Kitで公開されています。図3は従来のコンピューターと小中規模量子コンピューターのハイブリッド・アプローチのフレームワークの例です。
量子コンピューター時代の到来に向けて
量子コンピューター向けのアルゴリズムの開発を行うためには、単に量子コンピューターそのものの開発が進むだけでは不十分です。周辺技術として、量子コンピューターのシミュレーターや専用の開発環境、例えば、高水準プログラミング言語や線形代数などの用途に特化したライブラリーの開発も欠かすことができません。現状は これらが全てはそろっていないため、量子コンピューターのプログラミングはまだ容易ではありません。
また量子力学の原理が私たちの直感に合わないことが多いため、量子コンピューターを理解する壁が高いという側面もあります。しかし、IBM Q ExperienceとQISKitを通じて実際に量子コンピューターを体験することで、量子コンピューターへの理解とその応用が浸透していくことを期待しています。事実、MITをはじめ欧米の大学では、すでにIBM Q を授業に取り入れ始めており、日本においてもdeveloperWorksを通じて大学等での利用が進められています。今後量子コンピューターの開発環境が整備されていくとともに教育が行われることにより、量子コンピューターを使いこなせる人材がますます増えていき、量子アルゴリズムの開発とその応用も増えていくでしょう。IBM Q Experienceの具体的な使い方はこちらの記事を参照してください。
現在はまだ量子コンピューターの黎明期であるため、量子コンピューターに備わる量子ビット数も小規模で、実行できるプログラムの内容も限定的です。しかし、過去のコンピューターの進化の歴史を振り返ると、量子コンピューターが爆発的に進化して社会のさまざまな分野で活用されるような将来が、すぐそこにあると容易に想像できます。IBMはそれに向けて、IBM Research Frontiers Institute(RFI)の枠組みを通じて、パートナー企業と専門家との協業のもと実問題に適した量子アルゴリズムの研究開発を推進していきます。
IBM Quantum Computing で計算してみよう
クラウド経由で本物の量子コンピューターで計算する方法
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ルディー・レイモンド Rudy Raymond
日本アイ・ビー・エム株式会社 東京基礎研究所 量子アルゴリズム&ソフトウェア リサーチ・スタッフ・メンバー
京都大学大学院情報学研究科の博士後期課程修了。博士(情報学)。博士論文は「量子質問計算量および量子ネットワーク符号に関する研究」。量子学習理論、および、量子計算量と量子通信量に関する論文と講演が多数。IBMで最適化、データ解析・機械学習を活用す るプロジェクトに参画し 、人工知能技術の応用に貢献 。2015年 日本オペレーションズ・リサーチ学会待ち行列研究部会論文賞を共同受賞。最近は動的ボルツマンマシンの研究にも従事。
今道 貴司 Takashi Imamichi
日本アイ・ビー・エム株式会社 東京基礎研究所 量子アルゴリズム&ソフトウェア リサーチ・スタッフ・メンバー
京都大学大学院情報学研究科数理工学専攻の博士後期課程修了。博士(情報学)。 2010年に日本IBM東京基礎研究所に入所して 、現在は組合せ最適化および機械学習の研究に従事。
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