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塚脇和生: シニアリーダーこそ率先して価値観を変えていくべき(前編) | #1 Unlock

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IBMはいま、変革のときを迎えています。おそらく多くの社員が、そしてお客様も「これまでのIBMとは何か違う」とそれをご実感いただけているのではないでしょうか。

しかし、実際にはまだ、変革の道の途中にいるに過ぎません。ありがたいことに、今、多くのお客様から「一緒に変えましょう」とお声かけをいただいていますが、日本の「失われた30年」を取り戻しさらにその先へと進んでいくためには、私たちIBMがもっとそのスピードを速め、より大胆で魅力的なアプローチを推し進めていく必要があると感じています。

そしてこのIBMの変革を成功に導くのに必要なのは、新しいリーダーシップの同時多発的な発現であり、それを支えブースターとして加速させるシニアリーダーたちの支援だと考えています。

 

シリーズ「Unlock(アンロック)」は、そうしたIBMのシニアリーダーたちのありのままの声を、IBM社内だけにとどめることなく、広く社会に向けて発信していくことで、IBM内で交わされている声や言葉に対して率直なご意見・ご鞭撻を頂戴しようというものです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

日本アイ・ビー・エム 執行役員 テクノロジー事業本部 クライアント・エンジニアリング担当

村澤 賢一

 

 

前編もくじ

■ 直談判で営業に。しかし待っていたのは「深海魚」のような迷いの日々
■ 何を大事に仕事をするのか。役員にNoを。社員の叫びに「Yes, we can!」
■ シニアリーダーこそ率先して「主役はあなたたちです」と価値観を変えていくべき


 

常務執行役員 営業統括本部.SOMPOグループ事業部長 兼 保険インダストリー担当  塚脇 和生

 

直談判で営業職に。しかし待っていたのは「深海魚」のような迷いの日々

シリーズ「Unlock」の第一回にご登場いただくのは、自らを「普通のIBMのシニアリーダーと私はちょっと毛色が違うかなと思いますが…本当に私でいいんですね?」と言う塚脇和生さんです。

最初に、バブル経済の灯がまだ残っていた1990年の入社当時のことを話していただきました。(村澤)

 

就職活動では、日本IBM以外のIT企業は受けませんでした。仕事の結果に対する評価がはっきりしている企業で働きたかったから。「結果を出せているのかいないのか。それだけで評価されるような企業でこそ輝きたい」 — 社会を知らない若造の青くさい考えだったかもしれませんが、強くそう思っていました。

ホテルニューオータニでの1500人の同期との入社式、私はその場でSEとしての配属予定と聞かされ、大きなショックを受けました。それまでずっと「営業職希望」と伝え続けていたのに…。アドバイザーの熱い言葉に心を動かされ、「SEとして頑張ろう!」と思えたものの、3カ月後には当時の「営業所長」に直談判し、営業としての配属変更を認めてもらいました。

そして翌年1月から、保険業界担当営業として本配属となりました。

 

ところが、営業の世界はイメージしていたものとまるで違っていました。

ときはバブルの時代で、周囲を見渡せば、世の中の若者たちはみな派手に合コンに繰り出していました。でも、私は毎日毎晩、先輩やお客様と一緒に薄暗い地下のスナックで慣れない日本酒を飲みながら、深海魚のように過ごしていました。

 

「深海魚のように」というのは文字通りの意味です。彼らは、それが何なのかもよく分からないままに何か反応があればそこへ向かっていく。私も同じでした。自分が何を求め何をしているのか…。

私は打たれ弱い人間だったんです。その後しばらく、右も左も分からないまま先輩社員について回っているうちに、私はすっかり体調を壊してしまいました。身体も精神もすっかり参ってしまい、どうにも辛くて病院に行くとお医者さんが驚いていました。胃壁が半分溶けかかっていると。胃潰瘍寸前とのことでした。

 

「Yes, we can!」 — 離婚寸前からの大逆転

多くの社会人が、入社後辛い時期を過ごした経験をお持ちではないでしょうか。塚脇さんにもそんな時代があったことを聞き、「やはり」と「驚き」が混じったような気持ちでした。

でも、そこからどうやって持ち直し、今へとつなげてきたのでしょうか。リーダーとなっていく軌跡を語っていただきました。(村澤)

 

12年ほどの時が過ぎ、そんな私も営業部長となり、自分が担当営業だった時代にスタートした大型アウトソーシング案件の立て直しに取り組むこととなりました。…それは言ってみれば「離婚寸前」でした。お客様はIBMとのビジネスを解消しようとしていたのです。

そんな状況ですから、お客様先にいるデリバリーメンバーの皆さんからは彼らの悩み…いや、心の叫びが毎日聞こえてきました。

どうすれば彼らの努力が報われて、どうすればお客様にも満足していただけるのか。私は来る日も来る日もそればかりを考え、週末には必ず全メンバーに向けたメッセージを送っていました。

 

ちょうどその頃、アメリカでは大統領選挙に向けてオバマさんがキャンペーンを行っていて、日本でもよく取り上げられていました。

「Yes, we can!」 — 頑張ればできる! 自分たちには変えることができる! 私はそのスローガンに自分たちを重ねていました。私たちだって、精一杯力を尽くせば変化を起こせるはず!

今も強く記憶に残っているのは、パートナー様も含めたプロジェクトメンバー全員での決起集会です。難局を乗り切りお客様の信頼を勝ち取ろう「Yes, we can!」。メンバー全員で唱和しました。

結局、その思いは通じ、この案件は離婚回避、さらにはより豊かな結婚生活へと繋がっていきました。この経験は私の職業人生にとって本当に大きなものとなりました。

 

その後も何度か大きな転機がありました。1度、当時の役員の方に、US本社へのアサイニーという大きなチャンスを打診いただいたことがありました。でもそのとき私は、自分が今も「師」と仰いでいる方から「お前にこの仕事を頼みたい」と言われていたときでもあったのです。

迷いましたが、自分が何を大事に仕事をしていきたいのかを熟考し、役員の方にはお断りをさせていただきました。所謂プロモーションのステップという意味では、他の選択もあったのかもしれません。でも今でもその判断に悔いはありません。

 

また、正直、望んでいない仕事に就いた時期もありました。でもその結果、自分では見ようとしていなかったものに目を向けることができるようになりました。あの経験がなければ、私はバランスの悪い人間になっていたと心から思います。

2017年10月から、現在の職掌である保険業界に戻ってきました。競馬に例えれば私の職業人生は最後の第4コーナーを過ぎたあたりかもしれません。でも、ずっと自分の中で「育ててもらった保険業界」にいつか恩返しをしたいと思ってきていたので、本当に嬉しく思っていますし、ありがたく思っています。いわば私の地元選挙区ですから。

 

強過ぎる「IBM愛」を抑え、自らの価値観をも変革していく

IBMは昨年、たくさんの中途社員に入社いただきました。とりわけ、私がリードさせていただいているクライアント・エンジニアリング事業部は、100人のメンバーの半数以上が、それまでのキャリアをかなぐり捨てて「変わろうとしているここIBMで、自分も何かを成し遂げよう」と、ここ1年ほどの間に中途でご入社いただいた人たちです。

その一方で、大変残念なことにIBMをわずか数年で辞めていく社員も少なくありません。
そんなIBM社員たちへのメッセージをお願いしました。(村澤)

 

IBMは変革の最中にあります。変革のときとは、自らの価値観を変えるときでもあると思います。IBMに新しい感性やスキル、経験を持ち込んでくれる彼らが変わるのではなく、私たちシニアリーダーや先輩社員が率先して価値観を変えていくべきときではないでしょうかね。「主役はあなたたちです」という意識を私たちが率先して持たなきゃならない。

私たちは「IBM愛」が強過ぎるが故に、どこか新しさを受け入れなかったり、排除してしまうようなところがあったりはしていませんかね。IBMの素晴らしいカルチャーや伝統を守るのはもちろん大事。でも、それと同じくらい、新しく加わってくれた仲間が活躍できるような環境を作っていかなくちゃと感じています。

 

先日、他部門の新メンバーの方がたとオンライン・ワークショップを行う時間がありました。彼らはIBMの仕組みややり方を知らない。当たり前ですよね。私は、そんな彼らが臆せず力を発揮できることにとりわけ注力して進行しました。

翌日、私はあまり直接存じあげない彼らのマネージャーから、とても嬉しいメールをいただきました。「シニア・リーダーの方が話しやすい場づくりをしてくれたので、とても学びの多い時間となったと、新メンバーがすごく喜んでいました。ありがとうございました」と書かれていました。
新メンバーにもですが、「ありがとう」と感謝のメールをわざわざ送ってくれるマネージャーの方にも、感銘を受けました。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますよね。改めてあの言葉を自分自身にも言い聞かせようと思いました。

 

一方で、IBMを離れていく社員たちも少なからず見てきました。「卒業」という言葉を使うには、あまりにも短い期間で辞めていく方もいます。彼らを見送りながら、本当はもっと活躍できたのではないか。私たちがその場を作れなかったせいじゃないのかと、忸怩たる想いを感じます。

でも同時にもう一つ感じるのは、IBMを選び入社したというご自身の選択に、もっとプライドを持って欲しかったなとも思うのです。

諦めることは「いつでもできる最後の手段」です。どう現場に向き合うのか。自分が考え、想いを寄せ、下した選択をより輝かしいものにできるかは、自分にかかっています。

 

後編はこちらのリンクから | 後編目次

■ 「日本初・世界初・業界初」で、日経一面右上を

■ 「もう塚脇は連れてくるな!」 — 出入り禁止を喰らった後に

■ DXが進む社会でIBMに何ができるのか? 日本はもはや先進国ではないのか?

■ 今の日本社会の在り方を形作ってきた一人の人間として

 

 

TEXT 八木橋パチ

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