量子コンピューティング
グラフ状態スタビライザーに対するノイズの影響の特性評価に有用なQiskitツール
2024-05-22
カテゴリー IBM Research (コンピューティング) | 量子コンピューティング
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IBMとパリ・サクレ大学(Université Paris-Saclay)の研究者が、アイドル状態の超伝導量子ビットに影響するノイズの、改善した新モデルを開発する際に、Qiskit Experiments などのツールが役立っています。
量子状態の準備は量子計算において不可欠なプロセスであり、量子アルゴリズムを実行する際の重要な最初のステップです。しかし、多くの場合、量子コンピューターは、一度に一部の量子ビットのみに演算を行います。このことは、他の量子ビットは途中で「待機」させておかなければならないということを意味します。言い換えれば、量子コンピューターが一部の量子ビットに対して演算を行っている間、アイドル状態にある他の量子ビットには、設定した量子状態をそのまま保っていて欲しいのです。これは、比較的単純なことに聞こえるかもしれませんが、現実には相当に困難なタスクになる場合があります。
これは、量子状態は脆弱で不安定であるからです。量子状態は、用意した後、計算を進める準備が整うまでずっとただその状態を保っているというわけではありません。量子コンピューターは非常に敏感なので、環境ノイズによって、設定した量子状態の情報の不規則な変化や、意図しない消失が引き起こされることがあります。この問題に対し、ノイズをモデリングする正確な方法があれば、量子システムを改善してノイズの影響にもっと強くすることができます。
パリ・サクレ大学のGrégoire Misguichと私たちは、共同研究で執筆しPhysical Review Lettersで最近公開した論文で、アイドル状態にある超伝導量子ビットに影響するノイズの改善した新モデルを開発し、IBMの量子ハードウェア上の実験で検証しました。このノイズモデルには、散逸(インコヒーレント)およびコヒーレントな1量子ビット成分と、近傍量子ビットとの間の2量子ビット(コヒーレント)クロストーク成分が含まれており、これらのすべてのパラメーターは汎用なQiskit Experimentsフレームワークを使用して実機デバイスから抽出されています。
この論文は、「スタビライザー」と呼ばれる、複数量子ビットに対するオブザーバブルの連続的なダイナミクスに、このノイズがどのような影響を与えるかを初めて示しました。スタビライザーは、それらが測定される特定の状態によって定義することができます(このことについては後で詳述します)。この論文は、グラフ状態に焦点を当てています。グラフ状態のエンタングルメント(もつれ状態)はグラフ構造で表現することができます。さらにこの研究は、スタビライザーも含めて、このモデルによって記述されるノイズが、動的デカップリングの調整によっていかに抑制できるかも示しています。
私たちは、このモデルが、多数の量子ビットから構成される量子状態に対するノイズの影響の、定量的に正確で効率的なコンピューター・シミュレーションを作成する上で、有用な道具になると考えています。本ブログ記事では、作成したモデルと実行した実験について、ハイレベルな説明をご提供します。しかし、その前にスタビライザーとは何かと、それがなぜ重要かについて少し説明します。
量子計算におけるスタビライザーの役割
スタビライザーは、ある種の複数量子ビット・オブザーバブルです。すなわち、複数の量子ビットに共有される量子力学的な量であり、実験で測定できます。スタビライザーが理論的な量子情報学で広く使用されるのは、群論を使用してエレガントに記述することができる豊かな数学的構造を持っているためです。スタビライザーを使用することで、量子状態や演算をよりシンプルでよりコンパクトな方法で扱うことができるため、非常に有用です。
量子ビットに影響するノイズには、測定するスタビライザーの期待値を劣化させる効果があります。ノイズは情報の消失というイメージで受け止められがちなので意外に思われるかもしれませんが、ノイズはまた同じ期待値の「復活」として現れることもあります。つまり、ノイズはスタビライザーの期待値の減少にも、また、増加して元の値に近づく原因にもなりえます。
優れたノイズモデルは、量子ビットエラーへの対処や緩和方法の探求の助けになります(エラー緩和手法について詳しくは、2022年にIBM Research Blogに掲載された記事を参照してください)。そして、ノイズモデルは、スタビライザーが中心的な役割を果たす量子エラー訂正という、長期的な目標を実現するためにも重要であると考えられます。
量子エラー訂正は、量子コンピューターが環境ノイズによるエラーを完全に訂正できるようにする、まだ実現していない未来の機能です。エラー訂正を可能にする機能を進化させることは、理論、ソフトウェア、そしてハードウェアのすべての側面からIBMで進められている主要な研究テーマです。(IBMにおけるエラー訂正研究についての詳細については、これやこれなど最新のブログを読むことをお勧めします。)
ノイズのある環境におけるグラフ状態のZXZスタビライザーの図式的表現。
12量子ビットがそれぞれ両側にある量子ビットと組になっている量子状態は、この動的モデルに含まれるノイズ源とともに背景に図示されています。
多体系における荷電パリティの変動をモデリングすること
複数量子ビットを対象にしたオブザーバブルであることが、スタビライザーが強力である理由の一つです。スタビライザーは単体の量子ビットではなくて多数の量子ビットを記述するので、量子状態や演算をよりコンパクトに扱うことができます。一方で、複数量子ビットを対象とするというこの性質は、同時に、スタビライザーに影響するノイズの正確なモデルを作成する際に難しい課題を引き起こします。
今日、多数の研究者がその構築に力を注いでいますが、量子力学で多体系領域、すなわち多数の量子ビットを含むノイジーな量子状態について、真に正確なノイズモデルは存在していません。私たちの論文は、それを作成する研究において有望な一歩となっています。私たちの研究と従来研究の違いは、超伝導量子ビットに特有の現象である荷電パリティ分離に関係があります。
超伝導量子ビットの荷電パリティは、量子ビット・ハードウェアに出入りする、電荷を運ぶ粒子の数によって決定される測定可能な属性として考えることができます(これは、実際の現実よりもだいぶ簡略化された説明です)。この文脈で荷電パリティ分離とは、それぞれの量子ビットの周波数が荷電粒子個数のパリティ、すなわち、荷電粒子の合計数が偶数であるか奇数であるか、に依存することを指します。荷電パリティが変動すると、量子ビットの周波数が毎回の実験ごとにずれることになります。
これらの周波数ずれを適切に説明することは、多体量子ビットのダイナミクスの有効なモデルを構築するために不可欠ですが、従来の研究では1量子ビット実験の文脈のみでこの問題を研究していました。私たちの研究は、多体系における荷電パリティの変動を効率的にモデリングする方法を初めて示しました。多体系には、アイドル状態に保っておきたい、そしてその結果、制御されていないノイズにさらされる量子ビットが含まれます。
特性評価実験と動的シミュレーションが秘密兵器
私たちは、多量子ビット・ダイナミクスにおける荷電パリティ・ノイズをモデリングするために効率的な古典的シミュレーション手法を開発しました。これを実現するためには、この方法がテンソル・ネットワーク近似との併用に適していることを確認することが重要でした。テンソル・ネットワーク近似は、量子系を表現するのに必要な情報を圧縮する、強力な古典シミュレーションツールです。
特に、私たちは、ノイズのある量子系の連続時間ダイナミクスを古典計算でシミュレートするための高性能ソフトウェア・ツールであるlindbladmpoを使用しました。lindbladmpoソルバーは、2022 年に私たちのチームと共同研究者 Grégoire Misguich によって開発されたもので、多量子ビット状態のインメモリ表現を記憶および操作するために、テンソル・ネットワーク近似を使用します。このシミュレーション手法は、離れた量子ビットが強く相関したり、エンタングルしていたりしない量子状態では特に効率的です。
ここでは、lindbladmpoについて詳しく説明しません。詳しく知りたい場合は、以前のQiskitブログを参照してください。この研究の文脈では lindbladmpoを使用することで、数十以上の量子ビットを含む量子状態を正確にシミュレートすることができます。これは、他の方法では実現できないことです。
しかし、これらのシミュレーションを現実世界に結びつけることができるのは、Qiskit、特に、シミュレーションに最新のハードウェア・パラメーターを与えるQiskit Experimentsです。Qiskit Experimentsは、Qiskitエコシステムの1プロジェクトです。詳しく知りたい場合は、Qiskitエコシステムのホームページを参照してください。そこでは、Qiskitを使用したり拡張したりしている他のエコシステム・プロジェクトについて学ぶことができます。
Qiskit Experimentsは、特性評価実験を実行するための強力で柔軟なフレームワークを提供します。このフレームワークは、さまざまなデバイス・パラメーターを測定するプロセス、データの分析とプロットの作業、結果と図を保存する作業、並びに、数百の量子ビットを持つ複数の大規模なデバイスにまたがったそれらの作業の自動化を大幅に簡略化します。
たとえば、Qiskit Experimentsを使用すれば、デバイスのすべての量子ビット、あるいは一部の量子ビットに対するT_1特性評価実験を、並列性を考慮した量子ビットのグループ分けで実行するといったことが容易になります。次のコードは、シームレスに自動生成されるグラフおよびフィットされたパラメーターを活用することで上記目標を達成できるものです。簡単のため、量子ビットのパーティション、必要な時間遅延や実験を実行するバックエンドはすでに初期化されており、Pythonのインポートは省略されていることに注意してください。
(このプログラムのテキストをコピーするには英語ブログをご参照ください)
私たちの実験では、動的モデルに必要な、1量子ビットあたり7つのパラメーターの特性評価を包括的に行なっています。それらの7パラメーターには、散逸的・コヒーレントな6つの1量子ビット・パラメーターと、隣接する量子ビットとの結合の強さを示す1つの2量子ビット・パラメーターが含まれます。さらに、状態の準備と読み出しエラーを考慮するために、各量子ビットに5つのパラメーターの特性評価をしています。実験ジョブの1セットごとに、私たちは、個々の量子ビットおよびすべての量子ビット・ペアについてこれらの全てのハードウェア・パラメーターを推定し、(量子ビットごとに)そのうちの10個をシミュレーションに投入します。
(a) 私たちの実験は、輪になった12個の量子ビットを持ち、密度行列ρ(t)で表現される開放量子システムのダイナミクスに焦点を当てています。(b) 周波数ωを持った超伝導量子ビットの2つのレベルは、荷電パリティの変動が量子ビット周波数を± νだけシフトさせていることにより分離されています。(c) 多体シミュレーションにおける荷電パリティ分離をモデリングするために、各量子ビットQは、レベル“e”(偶数)と“o”(奇数)を持ち、対角混合状態に初期化された仮想的な2レベルシステムと組にされています。このモデルにはさらに、標準的なコヒーレントで散逸的な1量子ノイズ項と2量子ビットのZZクロストークが含まれています。
量子ビットは、私たちのモデルでは捉えられないノイズや変動の影響も受けます。しかし、多くの場合に、複雑にエンタングルした状態のダイナミクスのシミュレーションは高いレベルで成功します。私たちはこのことをシミュレーションと実験で測定されたスタビライザーの比較を通して示しています。
今後の研究にこれらの方法を適用する
lindbladmpoを使用して、私たちは超伝導量子ビットのアイドル時のダイナミクスの非常に正確なシミュレーションを構築できることを発見しました。これは、個々のスタビライザーが時間の経過とともにどのように変化するかについて、多くの役立つ情報を提供してくれます。さらに、私たちは、動的デカップリングと呼ばれる、ターゲットのシステムに最適化されたテクニックを使用することで、システム内のコヒーレント・ノイズの大部分を抑制できることを示しました。このテクニックは、2量子ビットのクロストークを除去することもできます。
これらの研究で効果を示したツールは、量子エラー訂正に役立つことが期待される高精度のノイズ・シミュレーションを実現する上で重要な一歩です。私たちは、この方向ですでに次の1歩を踏み出しています。詳しくは、最新のプレプリントをご覧ください。
この実験全体や、それに使用したすべてのシミュレーション・ソフトウェアは、こちらでオープンソースのリソースとして利用可能です。実験を開始する方法については、リポのREADMEファイルをご確認ください。ぜひ、このモデルやシミュレーションを使ってIBM Quantumプロセッサーで実験を行い、量子エラー訂正/緩和について探求をする出発点としてみてください。
この研究は、米国Army Research officeのQCISSプログラム(契約番号W911NF-21-1-0002)によって支援されていました。
この記事は英語版IBM Researchブログ「Qiskit tools help researchers probe the noisy dynamics of graph-state stabilizers」(2024年2月28日公開)を翻訳し一部更新したものです。
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