量子コンピューティング
量子ユーティリティーとは?
2024-07-23
カテゴリー IBM Research (コンピューティング) | 量子コンピューティング
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歴史上初めて量子コンピューターが、愚直な古典シミュレーションを超える規模で問題解決能力を示し始めました。これに代わる選択肢は、問題に特化して丁寧に手作りされた古典近似手法だけです。今、量子コンピューターの機能を活用することを学べば、量子優位性を達成する最初の人間になれるかもしれません。(訳註:翻訳元の英語ブログの発表は 2023年11月であることをご理解ください。また、「brute force(ブルートフォース)」を「愚直な」と訳していますが、省略しない高精度で正確な計算のことを形容しています。)
2023年6月、IBM Quantumとカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー校)の研究者によるランドマーク的論文「Evidence for the utility of quantum computing before fault tolerance.」1が科学誌Natureに掲載されました。それ以来、IBM Quantumチームはしばしば量子ユーティリティーについて言及しています。しかし、この言葉はどういう意味を持っているのでしょうか?量子優位性という概念とはどのような関係にあるのでしょうか?そしてIBMの研究者たちが量子ユーティリティーの新しい時代に入っていると言っているのはなぜでしょうか?
簡単に言うと、量子ユーティリティー(量子有用性)とは、計算問題に対して愚直に厳密解を求める古典計算手法では到達できない規模をもって、信頼できる計算を量子コンピューターが実行できる場合に得られたと言うことができるものです。これまでそのような規模の問題は古典の近似手法によってのみ計算可能でした。近似手法は通常、与えられた問題ごとに、その問題が持つ固有構造をうまく利用するように手間をかけて注意深く手作りする必要があります。
今では、計算機科学者やその他の研究者は量子コンピューターを使ってそういった大規模な問題も解決できるようになりました。これは、この分野での歴史的な大きな一歩です。というのは、最近まですべての量子コンピューターは、量子コンピューター自体の研究を前に進めるために主に使われる、小型で実験的な機器にすぎませんでした。量子ユーティリティーの時代に入ったということは、今日私たちが手にしている量子コンピューターが、研究者が意味ある科学的問題を探求するために使うことができる、有用で価値あるツールになったということを意味しています。
IBMでQuantum Theory and Computational Science部門のディレクターであるKatie Pizzolatoは言っています。「私たちはついに、量子コンピューターが量子コンピューティングについて学ぶためだけのものである時代を卒業することになりました。」「量子コンピューターは、科学者がこれまで手にしたことがないような科学的ツールです。私たちは、このツールを使って探求したい科学的問題のアイディアを持っています。探求しなければいけない問題はたくさんあるのです。」
「量子ユーティリティー(量子有用性)」と「量子優位性」
IBMの研究者は一般に、量子有用性(量子ユーティリティー)を、愚直な古典計算手法では解決できない問題、すなわち、古典近似手法によってしか解決できない問題に対して、信頼できる精度の高い解を提供することができる量子計算であると考えています。
量子計算が古典近似手法に代わる現実的な代替手段となることから、研究者は、量子計算は科学的探究のための「有用な」ツールである、あるいは量子計算には「有用性(ユーティリティー)」があると言っています。しかし量子有用性は、量子手法があらゆる既存の古典手法を凌駕すると証明された高速化を達成したという主張をしているわけではありません。このことが量子優位性という概念との違いです。
量子優位性は、IBMの研究者の定義で言えば、愚直な古典計算手法だけでなく古典近似手法をも超えた、大きな実用的利点を量子計算がもたらすことです。すなわち、代替手段となる、あらゆる既存の古典計算手法と比較して安かったり、速かったり、あるいはより正確に解を計算することができるという状態です。
研究者たちは量子優位性が、ある一時に起こることではなく、最初は少しから徐々に多くの問題に対して、まず実用的な関連性を研究者が示し、そして量子優位性を示していくというような、段階的なジャーニーとして起こるものであると信じています。
IBMのQuantum Theory and Capabilities部門のシニア・マネージャーであるSarah Sheldonは言っています。「だからこそ私たちは、こういった量子デバイスを使って実用規模(ユーティリティー・スケール)の問題をますますたくさん研究していった時に何が起きるか、とても楽しみにしているのです。」「まだ、量子コンピューターが古典手法よりも実質的な高速化を達成している実用的な問題は見つけられていませんが、ますます多くのユーザーがこれらのシステムを使って実験をすればするほど、そのような発見が起きるに違いないと楽観的になることができます。」
ユーティリティーの意義
量子ユーティリティーの時代に入ったことは、研究者たちが科学的探索の道具として量子コンピューターを使って革新的な新しい科学的発見をすることができるようなレベルに、信頼性と規模の点で達したということを意味しています。現在、このことは量子系のシミュレーションを行う研究者たちにとって特に重要です。
20量子ビット程度の量子系をモデル化したい場合のなら、愚直な古典手法で非常に良い結果を得ることができます。しかし、シミュレーションが50量子ビット以上になると、どれだけ古典的計算リソース(CPU、GPU、TPUなど)を使ったとしても、なお、問題に特化したうまい近似計算を手作業で工夫する必要性がどうしても生じてしまうようです。
規模と信頼性の向上したIBM Quantumのハードウェアと、共通構造を持った一群の回路を効率的に実行できるランタイム・コンパイルの進歩により、IBMのユーティリティー実験は、100量子ビット以上の規模でシミュレーション問題に対して信頼できる結果を提供できることを示しました。これは、量子コンピューティングの歴史に根本的な変化をもたらしています。
IBMのQuantum Theory and Capabilities部門のプリンシパル・リサーチ・スタッフ・メンバーであるKristan Temmeは言います。「現在のデバイスで信頼できる結果をこの規模で得られるとは多くの人が思っていませんでした。」「量子コンピューターは進化しますが、同時に古典的な近似手法も進化します。私たちの希望は二者の間で抜きつ抜かれつがいずれ始まり、最終的には量子デバイスが勝利することです。」
古典的な近似手法を使用した場合、実用規模(ユーティリティー・スケール)の量子系をモデリングするには、研究者は個々のシミュレーション問題ごとに固有の回路構造を活用する方法を見つけて、その特定の問題に対して有効な近似手法を開発する必要があります。実用規模の問題は大きすぎて愚直な古典手法で検証することができないので、古典近似の精度を確かに保証することができませんでした。
この検証に関する問題は、量子コンピューターが間もなく価値をもたらすと思われるもう一つの領域です。古典的な近似手法はいつも一定の簡単化の仮定に基づいているため、なんらかの検証をしなければその正確さを保証することはできません。IBMが実用規模の問題において信頼できる結果を量子コンピューターで出せることを示したので、研究者は古典近似手法を検証するために量子デバイスを使うことができるようになりました。
量子優位性への道筋
多くの方法でIBMが量子有用性を強調しているのは、量子優位性の実現以前にも量子コンピューターが提供できる価値があることをみとめ、量子コンピューターの発展について語るのに適した細かいニュアンスを伝える言葉を使おうと努力している表れです。しかしそれは同時に、量子優位性に向けたジャーニーを計画するための実用的なフレームワークを確立するということでもあります」。
IBMのQuantum Capabilities and Demonstrations部門のマネージャーであるAbhinav Kandalaは言います。「量子有用性とは、いわば優位性を示すための最初の重要なステップなのです。」「量子マシンが、愚直な古典シミュレーションでは実現できない規模の問題に対して信頼できる結果を提供できることを示すのが目的です。それを示した後の次のステップは、研究者にとって価値があって、量子計算で解決可能なぐらいの困難な問題を見つけることです。それら両方ができれば量子優位性につながっていきます。」
IBMの量子優位性への道
ステップ1:量子回路を量子ハードウェア上でより高速に実行する
古典ハードウェアでできるよりも高速に、量子回路のノイズ・フリーなエスティメーターを実行することができる量子ハードウェアとソフトウェアを開発する道筋を描く。
ステップ2: 興味深い問題を量子回路に落とし込む
古典手法を使ったシミュレーションが困難であることがわかっているような、量子回路でのみ解決できるアプリケーションを見つけ出すこと。これには、広範な量子コミュニティーとの協力が必要です。
IBMの研究者たちは量子優位性へのジャーニーでは、研究者たちが実用規模の実験によって実用性を持つアプリケーションを見つけて、そしてそれから問題ひとつずつについて量子優位性を実現していくことになるだろうと行っています。量子計算を検討している組織がこのジャーニーを始めるためには、量子ハードウェアの古典シミュレーションや100量子ビット未満のデバイスで行う小規模な実験よりも踏み込んだことをして進んでいく必要があります。
量子コンピューティングによる科学的発見を加速するには100量子ビットが必要です(詳しくはこちら)。そして100量子ビット以上とそれらをエンタングルさせる数千以上のゲートを実行する能力は、研究機関にとって、革新的で根本的な科学進歩をする他とないチャンスを意味します。
実用規模の実験は、どのアルゴリズムなら効果的に大規模の量子系に規模拡大するか、そしてどのアプリケーションが量子優位性への潜在的可能性を多く持っているかの理解を、量子のコミュニティーが深めるのに欠かせない役割を持っています。今でももう物性物理学のような分野の研究グループは、新しい問題規模を探求するのに100量子ビット以上のシステムを利用可能です。
IBMの Quantum Services部門で製品責任者であるTushar Mittalは言います。「私たちは企業や研究機関の皆様が、実用規模の実験を行って、意味あるスケールでユースケースの探求をできるような計算能力をお使い頂けるようにしています。」「大規模な問題に取り組める能力を手にした今、どのユースケースが実際に有益なものに発展するかを見極めるためにパートナーの皆様の協力が必要です。最終的に量子優位性を達成したと最初に宣言をするのは、IBMではなく、私たちのお客様やパートナーの皆様になるでしょう。」
そういった研究協力をして有用な量子計算のアプリケーションを探せば、エラー訂正、フォールト・トレランス、そして最終的には量子優位性を実現するために必要となる、近い将来のハードウェアとソフトウェアの能力について有用な情報が明らかになっていきます。
「エラー率の削減や高速なプロセッサーの開発など、実用規模の量子計算のためにエラー緩和手法でできることを増やすために今やっていることの全ては、将来にエラー訂正のオーバーヘッドを減らすのに役立ちます。」とKandalaは言います。
「これまでにエラー訂正について得られた知見の多くはIBMが発見したものであり、IBMは量子エラー訂正研究のリーダーであり続けます。」とPizzalatoは言います。「しかし大規模なエラー訂正を実際に実装できた量子システムはまだ世界に存在しません。ですから、今利用可能なシステムが実際にどんなことができるかを理解しようとし続けることも重要なのです。なぜならそれが科学的発見のための唯一の道だからです。」
この理解を得るために、より多くの量子実験と、改善し続ける古典的手法とのもっと多くの比較が必要です。すなわち量子と古典の抜きつ抜かれつが必要というわけです。Kandalaは、これがどのように現実に起こるか、その始まりを私たちはすでに目撃していると言います。なぜならば、IBMとUCバークレー校のユーティリティ―実験が発表された後すぐに、この結果を再現しようとしたり、それを越えようとしたりする新しい古典手法についての論文が数多く出てきたからです。
2023年7月上旬、ユーティリティー論文の著者は、元の実験を評価するための新しい古典手法を提案する追加論文2をarXivに発表しました。そして、他の研究グループによって発表されていた複数の古典近似手法とこの新しい手法を比較しました。これらの新しい複数の古典近似手法の結果の間にはおよそ20%程度の不一致があり、元のIBM-UCバークレー論文とそれらの古典手法の間のずれもその誤差分布の範囲に十分入っているということを、この論文では見出しました。
「量子コンピューティングはついに、科学的探索の計算ツールになりはじめてきています。」とKandalaは言います。「私は、どのような回路に注力すべきかコミュニティーの意見を反映して、量子ハードウェアがさらに改善して、これからどんなことができるようになっていくか、とても楽しみにしています。」
参考文献:
- Kim, Y., Eddins, A., Anand, S. et al. Evidence for the utility of quantum computing before fault tolerance. Nature 618, 500–505 (2023). https://doi.org/10.1038/s41586-023-06096-3| ↩
- Anand, S., Temme, K., Kandala, A., Zaletel. M. Classical benchmarking of zero noise extrapolation beyond the exactly-verifiable regime. arXiv:2306.17839.https://doi.org/10.48550/arXiv.2306.17839| ↩
この記事は英語版IBM Researchブログ「What is quantum utility?」(2023年11月14日公開)を翻訳し一部更新したものです。
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